あなたの知らない京都観光ルート 清水の舞台はいったい“何のために”造られたのか!?|Mr.tsubaking

科学が発達して、合理主義が私たちの遺伝子にまではいりこんだような現代。「死の世界」を考えることは、無意味だとされオカルト趣味と忌避されます。けれども死の世界を考えないと生の世界は豊かになりません。

日本屈指の観光地、京都にある清水寺のそばには、観光客も寄り付かずあまり知られていない「死者の世界」が広がっています。明るい観光ばかりではない、京都の側面を味わってみてください。

清水寺から高台寺と八坂神社をめぐるルートは、京都観光で日本人にも外国人にも屈指の人気ルートになっています。

その入り口である東山五条。ここから、人の流れにそって進むと清水寺の表参道になります。しかし今回は、それに逆らって人の少ない右側の大谷道へ入っていきましょう。

すると、荘厳ないでたちをした門が姿を現します。

ここは大谷本廟。

浄土真宗の宗祖親鸞の墓所がある場所です。「それがし閉眼せば賀茂川に入れて魚に与ふべし」(私が死んだら、遺体は鴨川に捨てて鴨川の魚に食べさせてください)と親鸞は言い残して亡くなりましたが、残されたものの心情としてそうはいかないのが世の常。まして市井の人々からも人気のあった親鸞ですから、こうして墓がつくられました。

そんな親鸞に思いを馳せながら門をくぐりお堂に手を合わせ、さらに奥へ進むと広がっているのが「死者の世界」です。

広大な丘陵地帯に、所狭しと並んだ墓・墓・墓。

「死」というものを隠しながら進む現代社会に生きる私たちにとって、これだけ多くの死の象徴を目の当たりにする体験は滅多になく、その場に立ち尽くして心をどうしておけば良いのかしばらくわからなくなってしまうほどです。

この場所がこれほどまでに死者の谷になったのには訳があります。

かつて、貴族や上流階級は火葬をしていましたが、水分の多い人間の死体を燃やすには大量の木材と技術を必要とし、庶民には経済的に不可能な方法でした。
そこで庶民は、死体を谷に投げ捨て雨風で腐敗しきるまでほったらかしにする風葬や、死体を木に吊るして取りに食わせる鳥葬などを行っていたのです。

その場所の1つがここ鳥辺野。

立ち並ぶ墓石には「南無阿弥陀仏」や「倶会一処」と言った文字が多く刻まれています。これは浄土真宗などで読まれる阿弥陀経に出てくる言葉で、親鸞の近くにいたいと願う日本中の浄土真宗門徒がここへ埋葬されるためです。

さて、かつてはこの谷に死体を投げ捨てていたというのは前述の通りです。ではいったい、それは「どこから」投げ捨てられていたのでしょう。

密集した墓の連なる先の高台に、三重塔が見えるかと思います。訪れたことのある方はお気づきになるかと思いますが、あちらは清水寺の三重塔です。その脇に見えているのが現在改修工事中の、あの有名な「清水の舞台」。もうお分かりかと思いますが、かつて死体を投げ捨てていたのは、あの清水の舞台からだったのです。また清水の舞台があれほどまでに高いのは、死体の腐敗臭が上がってこないようにとも言われているのです。

清水寺には、表参道ではなくこの鳥辺野を通る大谷道からもたどり着けます。もはや信仰の地ではなく、テーマパークと化した清水寺(お寺の方々がそうでないのは百も承知です)の、死の側面を感じ取るのには、こちらからの参拝がオススメです。(Mr.tsubaking連載 『どうした!?ウォーカー』 第37回)

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