ボサノヴァの生みの親、ジョアン・ジルベルトが88歳で逝去:その半生を辿る

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2019年7月6日、ボサノヴァの伝説的ギタリストで歌手のジョアン・ジルベルトが88歳で逝去したことを、彼の息子、マルセロ・ジルベルトがFacebookを通して報告した。この記事を執筆している現段階では、死因は明かされてはいない。

「私の父が逝去しました。彼は威厳を損なうことなく、最後まで勇敢に闘病しました」。

ボサノヴァの草分けであるジョアン・ジルベルトは、1950年代後半に伝統的なサンバとモダン・ジャズを融合した新ジャンルを切り拓き、1958年にアルバム『Bim-Bom』を発表後、1960年代には国際的な成功を収めていった。

彼が生んだ新たな音楽ジャンルは、“ビオラオ・ガーゴ”もしく“スタマリング・ギター”と呼ばれるオフビートのピッキング・ギターがサンバのパーカッションにとって代わり、ヴィブラートを使わないさりげないリズム感と親密なヴォーカル・スタイルによって内面性を伝えるものだ。

「僕は演奏する時、澄み渡った、開放感のある空間を想像するんです」とジョアン・ジルベルトは、1968年のニューヨーク・タイムズ紙によるインタビューの中で語っていた。「それはまるでまっさらな紙の上に曲を書き始めるかのような感覚で、僕が音楽を作る場には静寂が必要なんです」。

1957年、ジョアン・ジルベルトは、リオデジャネイロのオデオン・レコードで雇われアレンジャーとして働いていたアントニオ・カルロス・ジョビンを紹介された。そして、その時出会ったジョビンのギターのリズムは、当時未完成だったジョアン・ジルベルトの名曲「Chega de Saudade」に取り入れられることになる。

ボサノヴァは、第12回カンヌ国際映画祭のパルム・ドール、そして第32回アカデミー賞で外国語映画賞を受賞した1959年のフランス・ブラジル・イタリア合作による恋愛映画『黒いオルフェ』のサウンドトラックの中でフィーチャーされたことがきっかけとなり、アメリカ人ミュージシャンたちがそのサウンドを研究し、模倣するようになった。1962年春にリリースされ、翌年1963年3月には全米アルバム・チャート1位を獲得したサクソフォーン奏者のスタン・ゲッツとギタリストのチャーリー・バードによるアルバム『Jazz Samba』は、ジョアン・ジルベルトが絶大な影響を与えた作品で、1962年11月には、ボサノヴァ音楽を紹介するカーネギー・ホールでのコンサートに招かれ、初めてニューヨークを訪問している。

同じく1962年には、長年の友人で共作者のアントニオ・カルロス・ジョビン、そして当時の妻であるアストラッド・ジルベルトを迎えて、スタン・ゲッツとのコラボ・アルバム『Getz/Gilberto』のレコーディングを行なった。1964年に200万枚以上の売り上げを記録した今作は、音楽史上最も売れたジャズ・アルバムのひとつとなり、外国作品として初めて受賞した“グラミー賞最優秀アルバム賞”他、“アルバム・オブ・ジ・イヤー”や、後に“グラミー殿堂賞も受賞している。

特に今作に収録されているジョアン・ジルベルトとヴィニシウス・ヂ・モライスが共作し、ノーマン・ギンベルが英詩を手掛けた「The Girl From Ipanema(イパネマの娘)」は、全米シングル・チャートで5位を獲得し、ザ・ビートルズの「Yesterday」に次ぐ史上2番目にカヴァーされてきた名曲でもある。過去の数百ものカヴァー・ヴァージョンには、サラ・ヴォーン、ナット・キング・コール、シュープリームス、フォー・トップス、そしてエラ・フィッツジェラルドによるものも含まれている。

アストラッドと離婚したジョアン・ジルベルトは、1965年にミウーシャとして知られるHeloísa Buarque de Holandaと再婚し、最初はアメリカニュージャージー州のウィーホーケンへ、その後ブルックリンへと移住。さらにメキシコへと拠点を移し、その地で2年間の歳月をかけてアルバム『João Gilberto en Mexico』をレコーディングした後、再びアメリカとへ戻った二人は、1980年に故郷ブラジルへと帰国している。

ジョアン・ジルベルトは、モライス・モレイラ、ジルベルト・ジルらを含むその後のブラジル人作曲家たちに多大な影響を与え、支持されていった。彼の最後のスタジオ・アルバムは、「Chega de Saudade」の別ヴァージョンが締め括る、過去曲と新曲を織り交ぜた30分と数秒の『João Voz e Violão』(2000年)で、今作は再び彼に“グラミー賞最優秀ワールドミュージック・アルバム賞”の栄冠をもたらした。

Written By Tim Peacock