救済の一歩に

 旧仮名遣いでつづられている。〈まる三年たつて家へ行つてきました。汽車にのつて居て はやくしやかいへつかないかなと思ひました〉。後ろの方は「早く社会へ着かないかなと思いました」。尋常小学校4年生の女の子の作文はこう始まる▲ハンセン病患者、元患者の嘆き、心の叫びを伝える「ハンセン病文学全集」(皓星社、全10巻)のうちの「児童文学」にある。医学的な根拠もなしに、旧「らい予防法」で患者の強制隔離が合法化されたのは、88年も前になる▲人々が当たり前の生活を営む「しやかい」(社会)が、少女には途方もなく遠い所に思われたのだろう。差別と偏見に囲まれた境遇が浮かぶ▲国の隔離政策によって社会から隔てられたのは、なにも患者に限らない。就学できず、学ぶ機会を奪われた。結婚差別を受けた。家族も差別されてきたことを認め、国に損害賠償を命じた熊本地裁の判決について、安倍晋三首相は「控訴しない」と表明した。地裁判決が確定する▲参院選のさなかに政権の「人権感覚」を示そうとした面はあるにせよ、救済の一歩をようやく踏み出すことになる▲きのう80代の男性が話していた。「父親(私)はハンセン病だと家族が人に言えるよう見守ってほしい」。社会がこれ以上「遠い所」にならないように。そう聞こえる。(徹)

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