『下戸の夜』本の雑誌編集部下戸班編 大人の酒観満載、相づち連発

 「下戸」と呼ばれる人、自らの意思で飲まない人、やっぱり飲む人たちによる酒観満載の1冊。エッセイや対談に、なるほど、そりゃそうだと相づちを連発していた。「飲める人は“上戸”、飲めない人は“下戸”ということも字面として下に見られているようで」(「映画の酔っぱらい」)。「飲みに行ったら文句ばっかり言う人、苦手」「トラみたいになっちゃうと、どう扱えばいいのかわらない」(「ベテラン営業下戸対談」)。「アルコールなしはざっくりと『ソフトドリンク』って言ってますけど、ソフトってそもそも、なんなわけ?」(「ハードに飲みたい夜もある」)。

 大人になると、心ならずも酒席に行かざるを得なかったり、誘われたりする。飲まない人に向けられた「え、飲まないの?」「いいよ、無理しないで」といった言葉は圧力十分で、飲んでいない人には帰りの忘れ物チェックや会計の役目まで回ってくる。おいしく飲むにしても健康やお金、人間関係には用心が必要だ。飲もうが飲むまいが、20歳を過ぎればお酒に何かと巻き込まれるのが世の習いである。

 「無礼講」や「記憶がない」といった酔っ払いの言い訳は、飲まない人に大昔から息苦しさを強いてきた。本書で武田砂鉄が指摘している。「酒の力」という言葉は便利に連呼されるが「コーヒーの力」「パンケーキの力」とは言わない、と。確かに「ラーメンの勢いに任せて」と力む人はいない。そんな非対称の関係を脱し、飲む飲まないの自由と対等を認めるのが世間の風通しの良さというものだろう。

 酒飲みへの痛烈な物言いだけでなく、パフェでもバイクでもカメラでも、もちろん読書でも、酔わない夜の充実ぶりが随所で語られる前向きな1冊でもある。「このまま飲まない人生もいいかな」(「降って湧いた夜」)という言葉に大人の成熟を感じた。漱石をはじめ飲めない作家たちの不機嫌そうな身の処し方にも味がある(「酔わない文壇」)。

本書とともに聴くおすすめの1曲は「The Days Of Wine And Roses(酒とバラの日々)」。数々の名演があるスタンダードだが、今夜はマッコイ・タイナーのピアノでゆったりと。酔えるのはお酒ばかりではない。で、私自身は飲んでは反省の繰り返しです。

(本の雑誌社 1600円+税)=杉本新

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