【熊本城のいま】今も残る江戸期の排水路

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江戸時代の排水路「玉川」の遺構。奥に見えるのが棒庵坂=熊本市中央区

 熊本市中央区のNHK熊本放送会館と日本たばこ産業熊本支店の両跡地(計1万7430平方メートル)が、今秋にも特別史跡熊本城跡に追加指定される見通しとなった。国の文化審議会が、近世城郭の一部である古い地形が良好に残されていることを高く評価し、文部科学相に追加指定を答申した。

 市は、城下町を含む熊本城の惣構[そうがまえ]と呼ばれる区域を本丸や二の丸、三の丸など六つの地区に分けている。

 両跡地がある千葉城地区は惣構の北東に位置し、戦後、裁判所やホテル、民家などが建てられ、6地区の中で最も開発が進んだ。ただ、旧坪井川の流路やNHK跡地の高台などが今も残り、熊本城が造られた当時の景観を保っている。このため、古い石垣や、そばで見ることができる江戸時代の遺構が残っている。

 県立美術館分館や県伝統工芸館の西側を通る県道に沿って、石積みの排水路(幅約60センチ~1・2メートル、深さ約1メートル)がある。これは江戸時代に造られた排水路「玉川」を今に伝えるものだ。棒庵坂[ぼうあんざか]の下から坪井川に向かって流れており、熊本大神宮辺りまでは開渠[かいきょ]になっている。

 市熊本城調査研究センターによると、熊本藩は1634年、玉川を造るための普請[ふしん]申請を幕府に提出。当初は長さ約398メートル、幅約5・4メートル、深さ約1・8~3・6メートルで、現在よりも大きな排水路の計画だった。棒庵坂の下から現在のJT跡地を通っていたが、文政年間(1818~29年)に米蔵の新築に伴って西側に流れを変更し、おおむね現在の流路になったことが絵図から分かっている。

 「玉川が高い場所から坪井川へと流れが残っているように、熊本城域の高低差はさまざま。城にとって城内の排水は重要な要素で、熊本城は高低差をうまく利用して造られている。古い地形の下には遺構も残されている」とセンターの美濃口紀子さん(48)。熊本城の価値は石垣や櫓[やぐら]だけではなく、地形にもあるのだという。

 考古学が専門の美濃口さんは「城域を発掘すれば何か歴史的な発見があるのではないかとよく言われるが、発掘は破壊行為。欲張らずに、現在守られている地形を将来へ伝えていくことが大切。そういう意味で乱開発を防ぐ特別史跡への追加指定は意義がある」と話す。(飛松佐和子)

(2019年7月12日付 熊本日日新聞朝刊掲載)