『ボーダーブレイク』プロデューサーインタビュー!牛マン、セガらしいアーケード愛と共創を熱く語る

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『ボーダーブレイク』プロデューサーインタビュー!牛マン、セガらしいアーケード愛と共創を熱く語る

2019年9月9日をもって、アーケード版のサービス終了告知が行われた『ボーダーブレイク』。およそ10年間にわたりゲームセンターを盛り上げ続けた同作はどのように作られ、成長し、今後のPS4版でどんな進化を遂げていくのか。シリーズプロデューサーである牛マンこと青木盛治氏に、これまでの振り返りや今後の展望をお聞きしました。

アーケード版『ボーダーブレイク』の今後についてhttps://t.co/h6YjSJhPeR#sega_bbacpic.twitter.com/1LitdzByij

— 【公式】ボーダーブレイク (@SEGABB)

June 6, 2019

牛マンこと青木Pにインタビュー!

─今日はよろしくお願いします。早速ですが、『ボーダーブレイク』開発のきっかけから教えてください。

青木氏

こちらこそよろしくお願いします。『ボーダーブレイク』は2009年にリリースしましたが、開発は2006年くらいから行っていました。当時のアーケード市場ではバンダイナムコゲームスさんの『機動戦士ガンダム 戦場の絆(以下『戦場の絆』)』が大ヒットしている状況で、セガとしてもロボットをテーマにしたアーケードゲームを考えようというところから、プロジェクトがスタートしたんです。

─そうだったんですね。『戦場の絆』への対抗であれば、既に有名な『バーチャロン』で挑戦したほうが良いという判断もあったのでは?

青木氏

もちろんそういった意見もありましたが、『バーチャロン』を超えてみたいという想いや、セガの完全オリジナル作品を創り出したいという声もありまして。あと、『戦場の絆』はドームが大きくて没入感も凄いんですが、お店によってはスペースの問題で設置できないという事情もあったので、汎用スラント筐体に収めて省スペース化し、できるだけ多くの筐体を設置できるようにしようというアイデアもありました。

─スペースというアーケード特有の事情があったのですね。プレイ時間を購入するイメージである、GP制もそういった事情から生まれたのでしょうか。

青木氏

はい。「100円払ったらこの時間は必ず遊べますよ」と、担保したかったんです。例えば「格ゲー」だと、負けたらすぐ終わってしまいますからね。このGP制は他のタイトルにも引き継がれましたし、汎用スラント筐体を使っていろんなゲームをリリースするようになったのも『ボーダーブレイク』からです。今思うと、結構チャレンジングなことをしていましたね。

─インカムを確保する制度や筐体設計など、後々のセガのタイトルに続く形になっていったのですね。筐体の話なのですが、最初に『ボーダーブレイク』を見た時、レバーとマウスというプレイスタイルはとても斬新でした。

青木氏

今でこそ、当たり前のように多くのサード・パーソン・シューティング(以下TPS)ゲームが出ていますが、当時、国内ではTPSというジャンルの認知が低く、社内でもそんなに知られていなかった時代ですからね。キーボードとマウスを使ったプレイは、TPS特有の文化ですが、さすがにアーケードでキーボードは遊びづらいので、左手の操作はコンシューマーのコントローラーに近い設計にしました。

右手の操作はエイムもあるので、マウスになりました。でも、社内的には「セガのアーケードゲームでマウスをそのままつけるなんてあり得る?」という声があったりして、試行錯誤しましたね。

─社内からも様々な声があったんですね。

青木氏

今ではマウスが接続されている筐体もありますが、当時はマウスをつける事への抵抗がありましたね。そこで、ブラストのコックピットに乗り込んでいるような世界観が感じられる、専用のデザインを採用しました。

実はアーケードゲームの開発って、試作筐体ができるまで時間がかかるんですよ。それまで開発スタッフは代用品でプレイするしかないんですが、その時使っていたのが、PS2のコントローラー(DUALSHOCK)と市販のマウスだったんですね。その時の操作性が非常に良かったので、この感覚をそのままレバーに持っていこうと試行錯誤し、今の形になりました。株式会社ホリさんから発売されているPS4版『BORDER BREAK』の専用コントローラーはおかげ様で好評なのですが、開発スタッフはDUALSHOCKとマウスで操作している人が大半ですね。もう何年もその環境でプレイしているので、そのスタイルに慣れてしまいました(笑)。

─10年以上携わっているわけですからね(笑)。コンシューマーのコントローラーからアーケードゲームのレバーが生まれたのは面白いなと思いました。それにしてもあのレバーはしっかりと、筐体に固定されていますね。

青木氏

セガのアーケードゲームでロボットが出てきて、しかもレバーがあるとプレイヤーさんの中には、「(バーチャロンのように)これ倒せるんじゃね?」って思う人がいましたね(笑)。ロケテストでも、レバーが動かないという声もあったので、筐体設計の方には「レバーは強く固定しておいて!」とオーダーしました。

─倒したくなる気持ちは私もよくわかります(笑)。筐体の設計からセガ独特の文化を感じますが、『ボーダーブレイク』はプレイヤーとの距離というか、意見を上手く取り入れて成長していった印象があります。

青木氏

ありがとうございます。プレイヤーさんの想像にお任せしながら、成長していった部分もありますね。例えばオペレーター3人は、最初は無名だったのですが、プレイヤーさんがオペ子って呼びはじめたのでキャラクター性を持たせようとなり、そこから「フィオナ」という名前をつけたり魅力的なキャラクターにするなど方向性が決まっていきました。

─ゲーム内でタッチすると、怒られたりしますね。

青木氏

あれは、ローディング中にただ待ってもらうのも寂しいですし、何か暇つぶし的にリアクションがあったほうが良いなぁと思って入れました。ただ、ゲームセンターには未成年のプレイヤーさんもいますし、社内的にも色々と問題があったので、最初はタッチすると表情が変わるくらいに留めました。社内の了承を得ながら少しずつ進めていき、後はもう好きにやるみたいな(笑)。

─徐々に社内のボーダーをブレイクしていく(笑)。フィオナが持っているファイルにも「見ちゃダメ」って書いてあったりと、細かいですよね。

青木氏

あれはメインイラストレーターである「風間雷太」さんの遊び心ですね。我々からは細かな指定を出していませんが、ネタとして広がっていき、プレイヤーさんにも楽しんで頂けたかと思います。キャラクターアイテムについても風間さんのご協力もあり、数も物凄く増えましたね。

─時折凄く個性的なアバターを見かけることもあり、印象深かったです。それと、ネットにプレイ動画を投稿するという文化も、『ボーダーブレイク』の盛り上がりに大きく貢献したのではないでしょうか。

青木氏

これは、プレイヤーさんがゲームセンターに「録画したい」と相談したのがスタートだと思いますね。『ボーダーブレイク』の筐体にはライブ機能が無く、自分や誰かのプレイは見れなかったので。

─ゲームセンターが独自にDVDプレイヤーを取り付けたり、ケータイで直撮りしたりした動画がありましたね。

青木氏

そこで、「プレイ動画をネットに上げてもいいのか?」という疑問が起こるのですが…。当時「牛マン」として活動を始めていていた僕は、「いいんじゃない?どんどん上げちゃいなよ」みたいなことを勝手に言ってました(笑)。

広報 西村氏

この点について、ネットに動画をアップロードしても大丈夫なように規約を作成したんですよ。そういった動きは、『ボーダーブレイク』が初めてでしたね。

青木氏

それまでは僕がテキトーに、「じゃんじゃん上げちゃいなよ!」って(笑)。まあ、『ボーダーブレイク』がセガの完全オリジナルだからこそ、できたことですね。

─まさかの後追い(笑)。ルールの整備も大変ですね。我々も当時は「ニコニコ動画」でいろんなプレイヤーの動画を見てましたね。突撃スナイパーの竹槍動画とか、スナイパーカラテの人とか…。

青木氏

凄い数があがってましたよね。ちょうど「ニコニコ動画」がグッと伸びてきている頃でした。Twitterも勢いが増していましたね。

牛マンのTwitterアカウント

も、最初は個人のアカウントだったんですよ。

─そうなんですか!?

青木氏

Twitterを使った広報宣伝というのも、セガでは初の取り組みでした。これも最初は自由に運用していましたが、後から「こういうことは言っちゃダメ」と、規約ができました(笑)。

─また後から(笑)。

青木氏

それまでは僕が変なこと言うもんだから、よく怒られていました。社長室からメールが来るんですよ(笑)。

─社長室から(笑)。

青木氏

お客様からのお問い合わせは、社長室に行くんですね。そうすると、「牛マンって誰だ?」ってなり、巡り巡って僕にメールが……何度も謝罪文を書いた記憶があります(笑)。

広報 西村氏

当時は、「公式アカウントでSNSにコメントを投稿するのはタブー」という風潮がありました。「SNSはリスクが大きい」という認識が強く、どう活用するのかといった議論さえ無かった頃ですね。

青木氏

セガ公式アカウントもありませんでした。そう振り返ると、「Twitter」や「ニコニコ動画」の盛り上がりに、『ボーダーブレイク』が上手く乗ったところもありますね。

─ルールの整備に苦労された時代だったんですね。その一方、『ボーダーブレイク』はゲームセンターでのイベントや全国大会も積極的に開催されていました。

広報 西村氏

そういった大会自体は、『バーチャファイター』から続くセガのアーケード文化としてありますよね。ユーザーコミュニティを盛り上げたいというか。

青木氏

最強のボーダーを決める「エースボーダー最終決戦」とか、セガでは初の「BBGP」といった賞金制大会もしていました。e-Sportsの走りですね。

─ちょうどセガでe-Sportsと言えば、『ぷよぷよeスポーツ』がありますね。

青木氏

実はアーケード版『ぷよぷよeスポーツ』のプロデュースも僕が担当していまして。『ボーダーブレイク』と並行して進めていました。

─ゲームセンターで『ぷよぷよ』ができるのは懐かしくて嬉しかったです。レトロゲームの

「SEGA AGES」

なども、ニンテンドースイッチでリリースされていますね。

青木氏

過去の名作リバイバルはいろいろな会社様にお声がけもしていますので、この記事を見てやってみたいという会社さんがおられましたら、ぜひご連絡ください(笑)。

─昔のアーケードゲームが今も遊べるようになるのはいいですね。『ボーダーブレイク』の話に戻りますが、この10年の間で狙撃兵装が遊撃兵装に変わったりもしました。

青木氏

元々の構想では5種類の兵装があったんです。そこから様々な検討を経て、リリース時の強襲、重火力、狙撃、支援という4兵装に落ち着きました。その後『ボーダーブレイク エックス』を出す際、再度1兵装を追加して5兵装にしようという提案が持ち上がったんです。ただ、後から一つ足すというのはやはりかなり難度が高かったですね。最終的には、狙撃兵装の役割を見直して、戦場をかく乱する遊撃兵装に切り替えるという結論になりました。

─PS4版の構想はいつくらいから考えていましたか?

青木氏

構想自体は結構早くて、『ボーダーブレイク スクランブル』の頃ですね。アーケードはいつか終わっちゃう日が来ますし、この世から『ボーダーブレイク』が遊べなくなってしまうのはとても残念なので、水面下で検討を進めていました。ただしPS4版の開発は、多人数通信対戦のシステム再構築に始まり、ステージの作り直しやテクスチャの質を上げる調整、4K対応等を進めた結果、移植というよりもフルリメイクに近くなり、新規開発と同じくらいの労力がかかりました。

─アーケードのGP制をそのままPS4版に持ち込むこともできませんし、そういった面でも従来とは違う形でリリースされたわけですね

青木氏

プレイヤーがいないと成立しないので、基本プレイ無料、ダウンロード無料にして多くの方に楽しんでもらおうと思っていました。PS4版は6月27日のアップデートから、パーツを確実に手に入れることができる「製造システム」がスタートしているので、ちょっと離れている人も遊んでほしいですね。「ユニオンバトル」なども、これから追加していきたいと思っています。プレイヤーさんとの飲み会でも色々なご指摘を頂いていますし、今後も頑張っていきます。

─プレイヤーの話で言えば、

ボダ家(ボダハウス)

も斬新でしたね。

青木氏

アーケードにはゲームセンターという集まる場がありますけど、家庭用では難しいので、「みんなが集まってコミュニケーションできる場所があればいいよね」という考えから、ボダ家をやってみました。結果、来場者は合計1,000人以上と、好評でしたね。

─ゲームセンターの良さを家庭用でも体験してもらえるようにという、セガらしい考えですね。アーケードのクローズについてお聞きしたいのですが、『バーチャファイター』の時は「バージョンB」という、ネットワークを介さないで遊べる方法があったのですが、『ボーダーブレイク』ではどうでしょうか。

青木氏

対戦用サーバーをクローズするので、残すのは難しいですね。店内対戦もネットワークを経由するので…。

─なるほど。名残惜しいですが、残った時間を大切に遊んでいきます。最後にこのインタビューをご覧の皆さんに一言お願いします。

青木氏

アーケード版『ボーダーブレイク』、10年間ありがとうございました。PS4版は新バージョン2.04も始まり、ますます遊びやすくなっています。このバージョンを皮切りに、末永く楽しく遊べるように、引き続きプレイヤーの皆さんと「共創」していきたいと思います。レターにも書いたのですが、僕はアーケードゲームの文化や空気感が好きなので、またアーケードでも何か作ってみたいですね。

─セガらしいアーケード愛にあふれたインタビューでした。今日はどうもありがとうございました。

HATA