『Planet Football』は、「チェルシーがアブラモヴィッチ体制で行った失敗ビジネス」という記事を掲載した。
2003年にチェルシーのオーナーとなってから大きな資金をチームに投じてきたアブラモヴィッチ氏。成功を収めたからこそ強豪クラブに生まれ変わることが出来たわけだが、その中にはもちろん失敗も…。
アドリアン・ムトゥ
アブラモヴィッチ体制となって初めての夏に獲得した選手の一人であるムトゥ。1580万ポンド(およそ23億円)で買われた彼は最初の3試合で4ゴールを決めたが、それがピークだった。
2004年9月にはコカインの陽性反応が出たために解雇され、クラブとは裁判沙汰に。最終的にはチェルシー側が勝訴しており、最低限のリターンはあった…のかどうか。
ガエル・カクタ
チェルシーは彼を獲得するために一生懸命になりすぎた。そしてそのツケを支払い、さらにカクタ本人もモノにならなかった…。
ランスから獲得するために全力を尽くしたが、その過程で規則に違反し、後に撤回されたものの補強禁止処分を受けることになった。カクタは16試合に出場しただけで、今は様々なクラブを渡り歩く旅人になっている。
アンドリー・シェフチェンコ
前のクラブで素晴らしいプレーをし、そして衰えを見せ始めた選手。そのような存在を獲得するのは容易ではない。皆の想像よりも下回ることは目に見えているからだ。
シェフチェンコは長い間アブラモヴィッチのお買物リストに入っていたが、やってきたのは2006年だった。3000万ポンド(およそ43.7億円)を支払ったが、たった9ゴールで終わった。300万(およそ4.4億円)ポンドなら許される成績だが…。
フェルナンド・トーレス
シェフチェンコとは違い、彼は素晴らしいプレーを続けていた「ピーク」の選手であるはずだった。そのために5000万ポンド(およそ72.8億円)ものお金が注ぎ込まれたし、彼はワールドカップ優勝を経験した王者だった。
しかしトーレスはチェルシーのシステムに合致しておらず、最初のゴールを決めるまでに14試合を要し、3年間で20ゴールしか決められなかった。
フアン・クアドラード
クアドラードはユヴェントスとコロンビアで素晴らしい時間を過ごしたし、フィオレンティーナでは豊かな才能を見せつけたが、そのようなものはチェルシーで見られなかった。
2600万ポンド(およそ29.1億円)でやってきたクアドラードにそれほどチャンスがなかったことも確かだが、そもそもモウリーニョ監督に彼を使うプランがなかったようにも見える。
ケヴィン・デ・ブライネ
もっとクラブが忍耐強くありさえすれば…。
ムハンマド・サラー
上に同じ。
アンドレ・シュールレ
シュールレはプレミアリーグでハットトリックを決めたし、ワールドカップ準決勝でもゴールを奪っている。しかし、チェルシーでは残念だったと感じられる選手だ。
ジョゼ・モウリーニョの下ではジエゴ・コスタやセスク・ファブレガスが獲得され、シュールレに活躍の場はあまり与えられなかった。
ルーカス・ピアゾン
彼を獲得するために500万ポンド(およそ7.3億円)を使った。それから8年間に渡ってチェルシーに所属しているが、同時に所属しているだけの選手だ。
まだチェルシーでは3試合しか出場しておらず、高かった期待も徐々に萎んでいる。相当な回り道を歩んでいるが、彼の行き着く先はどうなるのか?
エルナン・クレスポ
これはチェルシーのせいではないが、クレスポはイングランドにいる間に不幸な事件を経験した。二人の子供を亡くしてしまったことで、個人的な問題を抱えてしまったのだ。
彼を獲得した時の移籍金は1680万ポンド(およそ24.4億円)。プレーした2シーズンで20ゴールを決めているため結果は出ているが、余剰になってミランに貸し出され、さらに契約解除でインテルに放出することになるなど、良いビジネスではなかった。
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スコット・パーカー
チェルシーはプレミアリーグの他のクラブからかなりの数の選手を獲得した。有望なイギリス人選手を連れていくことで、相手の力も削げるという利点もある。
とにかく相手の選手を削ることを得意としていたパーカーであったが、チェルシーの資金力を1000万ポンド(およそ14.6億円)分削いだだけだった。そして、他のチームに移籍してからは十分にその能力を発揮した。