EPICソニー名曲列伝:大江千里「十人十色」に聴く自然素材のシンプルな調理法 1984年 11月1日 大江千里のシングル「十人十色」がリリースされた日

EPICソニー名曲列伝 vol.9

大江千里『十人十色』 作詞:大江千里 作曲:大江千里 編曲:清水信之 発売:84年11月1日

1984年、高3の秋。もう部活も卒業しているので、夕方には大阪市内の学校から東大阪市の自宅に帰宅。10月から神戸サンテレビでネットされ始めたテレビ神奈川『ミュージックトマトJAPAN』を見る。そこで流れたこの曲のプロモーションビデオ(PV)。私が大江千里と出会った瞬間。

今聴くと、これぞ「ザ・EPICサウンド」という感じがする。やたらキラキラしていて、やたらとポップ、でも歌謡曲(当時すでに古めかしい言い方となっていた)や「ニューミュージック」とは、あきらかに違う聴き心地。

そして何といっても、PV の中の大江千里が異常に可愛かった。いかにも東京のお坊ちゃんだろうと思っていたら、同級生に「あいつ藤井寺市(大阪の地名)の出身やで」と言われて驚いた。

楽曲としてのポイントは、その親しみやすさにある。細かくコードチェンジをするものの、骨格は実にシンプル。特に歌い出しのメロディが完全な五音音階で出来ている点に注目したい。

五音音階とは「ペンタトニック」とも言われるもので、ざっくり言えば「ド・レ・ミ・ソ・ラ」の五音だけでメロディが作られているということ。世界各国の民謡でも使われているもので、使われる音が少ない分、親しみやすさ、馴染みやすさが発生する。最近でも演歌の多くは、この音階で作られている。

♪ ラッシュの波に押されて 少し遅れた夜には =ソッソ・ソラドレ・ミミレミ・ミソ・ソッソ・ソラドレ・ミミレミ・ミソ

♪ 改札口でおどけたように 大きく君に手を振るよ =ミミミ・ミレドレ・ミミミ・ミレドレ・ミミミ・ミミミミ・ミレ・ドラソ

という感じで、序盤には「ファ」と「シ」がまったく出てこない。中盤からはそれらも入って来るのだが、それでも、親しみやすく人懐っこいテイストが全体を支配し続ける。最近で言えば、星野源の大ヒット曲『恋』(16年)も五音音階を活かした作りになっていて、『十人十色』と相似形のように聴こえる。

余談だが、大江千里と星野源には共通項が実に多い。キュートなイメージ、シンガーソングライター、とりわけ作曲家としての特異な才能、やや湿った声質、俳優兼業。加えて、五音音階の使い方でもつながっているのだ。

『十人十色』に話を戻すと、その後の大江千里作品の特徴である技巧的な転調(ex.『格好悪いふられ方』のFm → F → A♭)も無く、全編Aのキーで統一されているし、大江千里含む EPIC 系シンガーが多用した、16分音符で言葉をつめる佐野元春的発音(ex.『格好悪いふられ方』のサビ「♪ 幸せかい『傷』ついてるかい」の『 』内)も使われていない。

―― だから僕には作品を作るということを譜面で捉えるとか、表記上音符で表しながら作って行くとかいうやり方が、信じられなかった。今もそれを疑う気持ちがどこかにある(大江千里『9番目の音を探して 47歳からのニューヨークジャズ留学』KADOKAWA)

2015年に発売された大江千里の著書からの抜粋。この言葉の通り、譜面や理屈から考えず、自身の身体の中から自然に湧き出てきた素材をシンプルに調理して作ったのが『十人十色』だったのではないか。その結果、五音音階活用、転調無し、自然な符割りにつながったと考えるのだ。

しかし大江千里は、先に述べた技巧的作品や俳優業(ドラマ『十年愛』の顔中包帯+メガネ姿が忘れられない)を経由しながら、著書タイトルにもあるように、47歳で「ニューヨークジャズ留学」を決意、先生に「あなたがジャズピアニストになるには、ポップスで築いてきたその体に流れてる血を総入れ替えしなければならない」(同書)とまで言われながら、高度な音楽理論を学んでいく。その結果。

―― それが今では理論を学び、無意識にやっていたことを整理しながら、オフィス仕事をやるように(鈴木註:曲を)作れるようになってきた(同書)

という認識に至るのである。「オフィス仕事をやるように」とは奇妙な表現だが、何となく分かる。身体から自然に湧き出てくるものを活かすというよりも、ある方程式にのっとって、音とコードを、システマティックに譜面の上に組み立てて、曲を作っていくという感覚のことだろう。

それはそれで、とても高等なテクニックには違いないと思うが、単純に思うのは、一時期「男ユーミン」(言うまでもなくこの表現は賛辞だと思う。それも最大級の)とまで言われた大江千里が、「ポップスで築いてきたその体に流れてる血を総入れ替え」する必要が、果たしてあるのか、そんなのもったいないじゃないか、ということである。

東大阪市生まれの私は、藤井寺市生まれの大江千里と同じく大阪・河内(かわち)地方の出身となる。「河内」とはそう、ミス花子『河内のオッサンの唄』(76年)に歌われた、あのえげつないイメージの河内だ。そして今、2人とも50代、まさに「河内のオッサン」になっている。

そういう私は、「大江のオッサンの唄」を聴きたいと思うのだ。河内に生まれ、河内から東京、ニューヨークへと視野を広げたオッサンの、内面から湧き出てくる生の歌に耳を澄ませてみたいと思うのだ。

「ポップスで築いてきたその体に流れてる血を総入れ替えしなければならない」と言われたとき、大江千里には言い返してほしかった―― 「先生、河内の血ぃ入れ替えたら、河内のオッサンや無(の)うなってしまいまっせ」

カタリベ: スージー鈴木

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