犯罪の陰で苦悩する「加害者家族」 実態と支援の現場から(1)

警察官が刺され拳銃を奪われる事件があった千里山交番周辺=2019年6月16日、大阪府吹田市

 犯罪の陰で苦しむのは被害者や被害者家族だけではない。加害者家族について考えたことはあるだろうか。社会的制裁、経済的困窮、一家離反…。加害者家族は人知れず困難の極みの中を歩いている。

 6月16日早朝、大阪府吹田市の交番で警察官が刺傷され、拳銃を強奪された事件。逮捕された男(33)=犯行時の精神状態を調べるため鑑定留置中=の父親は在阪メディアの重役だった。事件の凄惨さや動機の不可解さも相まって報道は過熱。取材は家族や親類縁者はもとより、元同級生、雇用先、SNS上のつながりとあらゆる関係者に及んだ。

 こうした重大事件が起きた時、社会には加害者サイドを徹底的に暴き丸裸にしてよいバッシングの空気が醸成される。説明責任を問われた父親は代理人弁護士を通じて、警察官や家族のほか、地域や一般の人々に対しても「多くの皆様に不安を感じさせ、大変申し訳ありませんでした」と署名入りの謝罪コメントを出した。その後、間を置かずに「一身上の都合」で役職を退任。表舞台から去った。

 海外では「Hidden Victims(隠された被害者)」と呼ばれ、支援の必要性が認知されている加害者家族。だが日本では支援組織は仙台と大阪にある二つの民間団体だけ。あとは一部の弁護士会(山形)で取り組みが始まっている。まだ存在が十分に知られていない加害者家族だが、大阪市のNPO法人「スキマサポートセンター」の佐藤仁孝理事長(36)に彼らが置かれる実態と支援の実際について詳しく聞いた。2回に分けて報告する。

(構成/共同通信=大阪社会部・真下周)

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 ▽父親への罰大きい

 この事件では、被疑者の父親が大きな罰を受けていると感じる。犯罪が起きると、まず被害者や被害者家族が守られるべきであることは言うまでもない。加害者には償う責任がある。だが、父親は加害者そのものではないはずだ。それでも世間は許してくれない。

 報道が大々的になされると、家族への影響も比例して大きくなる。家族の情報はさらされ続ける。他人の不幸は蜜の味というが、近所や職場でも噂が一気に広がるなどし、彼らにとって絶望的な状況となる。メディアが助長している面は否定できない。

 真相究明や教訓を導く報道そのものは否定しないが、人権とのバランスが大事だろう。取材には一定の配慮を願えないものか。家族の生活や人権は守られていいはずだ。

 ▽事件直後

 事件が起きて身内が逮捕されると、家族の生活は一変する。普通の人がいきなり針のむしろに立たされる。今後どうなっていくのか見通しが立たない不安が襲う。だが相談できるところはない。世間から逃避し、孤立する。安心できる材料は何もないと言ってよい。

 (身内が事件を起こしたことに)信じられない思いで、心は大混乱に陥る。一方で緊急的な事務は大量に降ってくる。弁護士や警察とのやりとり、勾留中の本人との面会、一時避難先の確保、職場への対応…。裁き切れないが、やみくもに動くしかない。

 少し時間が経過すれば、報道も落ち着き、現実感が湧いてくる。混乱は恐怖に変わる。「消えてしまいたい」「死にたい」との思いが強まる。この時期、精神的に生きるか死ぬかのレベルに置かれる家族も多い。

 私が常に持ち歩いている携帯電話に、わらにもすがる思いで泣きながら相談してくるほど、家族は追い込まれている。自殺の可能性が高いと判断したケースでは、1週間とか10日間とか、気持ちが落ち着くまでこちらから電話をかけ続ける。

 ▽「家族への同罪視」

NPO法人「スキマサポートセンター」の佐藤仁孝理事長

 日本は昔から家意識が強く、家族をひとくくりにする文化があるとされる。身内が逮捕されると家族は同罪視されやすい。

 周囲から暴言を浴びせられたり、自宅の窓ガラスを破られたり。一番かわいそうなのは家族に未成年がいるケースだ。子どもの情報がSNSのツイッターなどで拡散される。『あいつの兄貴じゃないか?』といった具合に。こうした行動は何も大人だけがするとは限らない。

 一般人となると、未成年者の情報であってもリテラシー(適切に扱う能力)が低い人は多く、結果、拡散され続ける。

 ▽消えず残るネット

 記事はインターネットに出ると、消えずにネット空間とどまり続ける。大手の報道機関であれば、一定期間が経てば記事を消してくれることもあるというが、SNSやブログであちこちに転載されると、こちらが消去を要請することはできても、削除する判断は管理者の一存に委ねられる。

 ▽息をひそめて

 家族が自殺に追い込まれないために、味方、支えてくれる人の存在が必要だ。まずは配偶者か子どもになるだろう。たとえ普段、信頼している他人であっても犯罪加害の話はできないと考えるべきだ。祖父母や義理の父母もよくないことが多い。「あなたたちのせいで」と責め立てられ、逆の効果が起きることもある。

 夫婦仲が良ければ、二人で協力し合い、外出せずに人目を避けるとか、夜間は家の電気をつけずに息をひそめて過ごすとか、生活に制限を付けてやっていくことになる。

 ▽区切りの20日

 事件発生や逮捕から20日ほど過ぎると、家族の状況は大きく変わる。刑事手続きの流れからすると、検察が起訴を判断するタイミングだ。事件をきっかけとして突然襲ってくるストレスで過覚醒に陥ると、寝られない、眠れない日々を過ごすことになるが、その後、この「20日」の時期を境に急に肉体的、精神的にがくんと落ちてしまうことがある。

 2011年の東日本大震災でも、学校の先生らは子どもたちを守ろうと必死で動いた。その後に活動性が急に落ち、反動で抑うつ的になる傾向があった。

 ▽家族関係の悪化

 この時期には、裁判への準備や被害者への対応が求められるようになる。遺族に一本手紙を入れるべきか。現場に献花しにいかなければ。先を見据えて取り組まなければならない課題を前に、精神的にしんどくなる。

 必ず起きるわけではないが、家族関係は悪化することが多い。混乱の後に訪れるのは家族内での責め合い。夫婦の不和は離婚話に発展する。兄弟関係に限らず家族の一員が婚約破棄に遭うなどの事態が起きうる。子どもがいれば、転校を強いられることも。名字を変えるために離婚を選択せざるをえないケースもある。

 経済的問題も襲う。一家の大黒柱を失えば、暮らしもままならない。生活保護を受給せざるをえない状況にもなりうる。債務関係も頭を悩ませる。逮捕によって住宅ローンや月々の支払いなどが滞る。本人が弁済するのが原則とは言っても、家族が背負うケースも多い。裁判費用や示談金、慰謝料なども見込まれ、それらの負担が重くのしかかる。

 裁判が終わる頃には、一山は越えているだろう。本人の処遇も決まり、法的に残された手続きは一時よりは少なくなるかもしれない。家族は自身や本人と向き合う時期に入るが、これが実に長い。「自分の育て方が悪かったのか」「あの時なぜ」。後悔は尽きず、事件を起こした本人への恨みや不満も増大する。影響を最小限に食い止めるため、他の家族への配慮も必要だ。そんな中でも働き続けるつらさは表現しがたく、泣くしかない状況だ。

 受刑中も家族の気は晴れない。同じ期間、家族も刑に服しているようなものだ。旅行など贅沢なことはできないし、ご飯はおいしく食べられない。笑ってはいけないような罪悪感にさいなまれる。周囲に思いを吐き出したいが、躊躇する。本人が戻ってきやすい環境を考えると、周囲に知られない方がよいからだ。

 刑事手続きの中で、本人が社会に戻ってくる時期はいくつかある。起訴後であれば保釈。判決による刑の執行猶予。受刑後の仮釈放。そして満期出所。身元引き受けをするかどうかもそうだが、家族は本人との関わり方を巡って葛藤が大きくなる。

 家族が一番望むのは本人の再犯防止と自立だ。「こんな大変なことがもう一度あったら私たちはやっていけない」と思っており、再犯は恐怖でしかない。本人が家族の元に帰ってくれば、家族の生活は再び脅かされかねない。ただ、受け入れることを責任と考える家族もいる。拒否すると「無責任」と責められそう、という葛藤があるのだろう。しかし、現実的に引き受けられない家族もいる。

 ▽被害者性

 加害者家族には被害者としての側面がある。だが同情ではなく、バッシングを集めやすいのが特徴だ。本人はある意味、分厚いコンクリートの塀に守られている。強制ではあるものの、刑務作業に集中できる環境でもある。攻撃対象が塀の中にいることで、社会で野ざらしになっている家族が身代わりになる。

 にもかかわらず、受刑者の中には、家族がひどい目に遭っていることも知らず、関心がもっぱら自己保身という者がいる。「執行猶予にならないか」とか「家族にお金を出してもらえるように頼んでほしい」とか身勝手な希望を口にしつつ、反省の態度は一切示さなかったりする。全てのケースではないが、加害者家族の現実としてある。

東京拘置所=2019年3月、東京都葛飾区

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