安全地帯とファッション、玉置浩二のジョッパーズは DCブランド「PASHU」 1985年 8月31日 安全地帯がライブ「ONE NIGHT THEATER」を横浜スタジアムで開催した日

TV を付けると、玉置浩二が映っていた。彼は、U2のボノが先駆的に導入していた髪型「マレット」を東京テクノ風に仕上げ、肩パットの入った立体的なブルゾンに合わせて、5タックのジョッパーズを穿いていた。

このジョッパーズは、今まで見た事のある伝統的な乗馬ズボンと違い、近未来的で曲線がとにかく象徴的で、太ももの膨らみに渦巻きの様な空洞を作り、そこに空気を含ませていた。

僕は、このジョッパーズに一目惚れしてしまい、どこで売っているのかどうしても知りたかった。その答えは、当時愛読していた講談社のファッション雑誌『Checkmate』1985年12月号に、玉置浩二は公私共に細川伸の『PASHU(パシュ)』を愛用している… という記事にあり、たちまち夢中になった。

僕は、この PASHU を、80年代ロックスター並みに輝いていた東京デザイナー群の中で、ヨウジ・ヤマモトやコム・デ・ギャルソンよりも好きだったと言っても過言ではない!

PASHU の、何がそんなに好きだったのか? それは、デザインは勿論だが、乃木坂に存在していたヘッドオフィス兼プレスルーム兼ショップ… という、完璧なまでに時代を先取った『PASHU LABO』の存在が好きを決定付けた。

ラボを建築したデザイナーは杉本貴志。作り出すのではなく、見出す事を信条とする杉本は、世界でも最先端のデザインを創り出す PASHUブランドのヘッドオフィスに、廃材を用いたデザインを施したのだった。

僕は二度しか行った事がないが、その衝撃は『ガレッヂパラダイス』や『ピンクドラゴン』に匹敵すると言っても過言では無かった。

ちなみに、杉本は、70年代に10坪程のバー『ラジオ』をデザインしていた。このバーは、のちに伝説のバーとして語り継がれて存在し、飯倉のレストラン『キャンティ』、原宿の喫茶店『レオン』と同様に、才能ある人達に愛されていた。三宅一生、倉俣史郎、和田誠、森英恵、錚々たる面々だ。

さて、「衣服をデザインする為には空間にまで拘らなくてはならない」という思考で服を作る細川伸。彼は、アートに強い興味を持っており、ナム・ジュン・パイクの作品を所有したり、ヨーゼフ・ボイスの洋服を PASHU LABO に展示していた。

そんな彼がデザインする服が悪いはずもなく、東京の最も輝いていた時代と永遠がデザインに宿っていた。それは古代ローマが永遠を夢見て衣服や建築を生み出していたのと同じような感覚なのかもと思った。

そして安全地帯。デビュー当時はアメリカンテイストだったという事が信じられない程、80年代前半の彼らは東京クリスタルだった。都会の夜を切なく切り取る彼らはアイドル達が華やかな衣装で登場している中でモノトーンのスーツを着用する。その後、更にスタイリッシュさに磨きをかけ、東京の最新モードをメンバー全員で着こなしていた。

たとえば、85年の横浜スタジアムで開催されたライブ『ONE NIGHT THEATER』では、デフォルメされ、肩パッドが装着されたシルクシャンタンっぽい立体的なブルゾンにボリュームのあるパンツを履いた玉置浩二の姿を、映像で見る事が出来る。それはアーティスト気質に貫かれ、実に近未来的だった。玉置浩二が細川伸の服を選び、愛用したのは必然だったのかも知れない。

今見ても、やはり良いものは良い。僕も、もう一度 PASHU の服を着てみたい。

カタリベ: inassey

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