【明治維新鴻業の発祥地、山口 今年は大村益次郎遭難から150年】

No.184

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▲不忍池を望む(東京都台東区)

(7月10日付・松前了嗣さん寄稿の続き)

突撃

 富山藩前田家の本郷上屋敷跡は、現在、東京大学本郷キャンパスとなっている。

 当時、益次郎は、ここに、佐賀藩が所有するアームストロング砲2門を配備した。

 ここから寛永寺までは、不忍池を挟み、約600メートルの距離である。

 正午頃、東の方角に向けられた砲身が火を吹いた。砲弾は不忍池を越え黒門口や、寛永寺の象徴である中堂へ飛来した。

 この時、熊本藩も、富山藩邸の南側にあった高田藩邸から山内に向け大砲を放った。

 畳を重ねて胸壁を作っていた彰義隊のもとへ、頭上から砲弾が降って来た。砲弾は次々と堂塔に命中し始める。彰義隊に動揺が走った。

 その頃、西郷隆盛は、東征軍の指揮所となっていた松坂屋(現・松坂屋上野店)にいた。最前線で戦う薩摩軍の指揮を執っていた篠原国幹は、隆盛に尋ねた。

 「もうよかごあんどが」

 これに対し隆盛は、このように答えたという。

 「ううん、もうよかが」

 国幹率いる薩摩軍は、黒門口に向けて突撃を開始。猛烈な斬り込みが始まった。

 山内は、それまでの銃砲戦から白兵戦となった。

(続く。次回は7月24日付に掲載します)