『FourFourTwo』は、「サッカーの歴史上最高のフリートランスファーTOP11」という記事を掲載した。
今夏はアンデル・エレーラ(マンチェスター・ユナイテッド→PSG)やアドリアン・ラビオ(PSG→ユヴェントス)などが契約満了に従って「0円」で移籍した。
違約金が発生しないフリートランスファーはどこのクラブにとっても魅力的なもの。その中でこれまで「歴史上最高」だった11の獲得とは?
ロベルト・バッジョ(ミラン→ボローニャ/1997年)
1997年にミランを去ったとき、「神聖なポニーテールのファンタジスタ」はすでに力を落としているように見えた。
しかしバッジョはフリーで移籍したボローニャで素晴らしいプレーを見せ、1998年のワールドカップに出場することに成功し、少年時代に愛したインテルへの移籍に成功する。
スティーヴ・マクマナマン(リヴァプール→レアル・マドリー/1999年)
マクマナマンは1998-99シーズンの途中にレアル・マドリーと事前契約を結んだことで強く批判されたが、その選択は完全に成功だった。
彼は決してサンティアゴ・ベルナベウで完全なレギュラーではなかったが、4シーズンの間に2度のリーグ優勝、2度のチャンピオンズリーグ優勝を経験。その決勝でも素晴らしいゴールを決めた。
ギャリー・マカリスター(コヴェントリー→リヴァプール/2000年)
レスターやリーズで長くプレーしたマカリスターがリヴァプールにやってきたのは2000年の夏。彼はすでに35歳になっており、その決定は驚きを持って迎えられた。
しかしながらフリーで彼を引き入れるというジェラール・ウリエ監督の決断はまさに慧眼だった。公式戦49試合に出場し、重要なゴールをいくつも決め、カップ・トレブルに貢献している。
ソル・キャンベル(トッテナム→アーセナル/2001年)
ロンドンの両チームに大きな影響をもたらしたフリートランスファーだった。トッテナム出身のキャンベルが、直接ライバルのアーセナルに加入し「裏切り者」になったからだ。
トッテナム側の怒りはキャンベルにとって力になったようだ。彼はアーセナルで2回のプレミアリーグ優勝、3回のFAカップ優勝を経験。無敗優勝を成し遂げた「インビンシブルズ」の一員にもなった。
ジェイ=ジェイ・オコチャ(PSG→ボルトン/2002年)
古きよき時代のイングランドサッカーを体現する指導者サム・アラダイスが、2002年にボルトンへ引き入れたジェイ=ジェイ・オコチャ。ナイジェリアの「魔術師」がロングボール中心のサッカーの中で生きるのかどうか。
疑問も浮かぶ中で、オコチャは大量のトリックを披露する天才っぷりを十分に発揮。ただのショーマンではないということを証明し、ボルトンをUEFAカップ出場に導いている。
エステバン・カンビアッソ(レアル・マドリー→インテル/2004年)
カンビアッソは2014年にフリーでレスター・シティに加入したとき、大きな驚きと残留という結果をもたらした。しかしよりインパクトを残したのは、インテルに移籍した時だ。
若くしてレアル・マドリーでかなり期待されていたが、直前のシーズンで9試合しかスタメン起用がなかったこともあり、インテルへフリーで移籍することを決断。イタリアで世界屈指のセントラルMFに成長した。
ラウール・ゴンサレス(レアル・マドリー→シャルケ/2010年)
クリスティアーノ・ロナウドが新たなレアル・マドリーのアイコンとなったあと、かつてのヒーローであったラウールは影に隠れ、契約満了の時を迎えることになった。
その時彼の獲得を熱望したドイツのシャルケ04は、ゲルゼンキルヒェンに世界的スターを迎えることに成功。2011年には彼の活躍もあり、チャンピオンズリーグで準決勝まで進出した。
アンドレア・ピルロ(ミラン→ユヴェントス/2011年)
ユヴェントスが2011年にアントニオ・コンテを監督に任命したことは、黄金時代のスタートを意味する出来事だった。しかし、同じ夏に行なわれたピルロの獲得も、イタリアサッカー界のパワーシフトを感じさせるものだった。
ミランは10年貢献してきた彼を簡単にフリーで放出した。その選択は重大な過ちであったことは後に証明された。ピルロは白と黒のユニフォームをまとい、セリエA4連覇に大きく貢献した。
「アンドレアがユーヴェに行くと言ったとき、最初に思ったのは『ああ、神はいるんだな』ということだったよ」とはジャンルイージ・ブッフォンの談である。
ミロスラフ・クローゼ(バイエルン→ラツィオ/2011年)
ワールドカップの歴史を知っているなら、ミロスラフ・クローゼの得点力を知らないはずがない。バイエルンをフリーで退団してラツィオに加わったとき、彼は33歳になっていた。
年齢を感じさせないプレーを見せ、セリエAでのデビュー戦からゴールを量産。2016年にはクラブの歴史上最も多くのゴールを決めた外国人選手という記録を成し遂げ、キャリアを終えた。
ポール・ポグバ(マンチェスター・ユナイテッド→ユヴェントス/2012年)
財務的なレベルで言えば、世界最高のフリートランスファーだろう。ユヴェントスは2012年にタダでポグバを手に入れたが、4年後には8900万ポンドというとんでもない額で売却することができた。
そしてポグバも世界的な選手の一人に成長し、イタリアでは数多くのタイトルを獲得した。彼の取引なしにユヴェントスの黄金時代は続かなかっただろう。
ロベルト・レヴァンドフスキ(ドルトムント→バイエルン/2014年)
2013年夏、ドルトムントはレヴァンドフスキをバイエルンに売ることを拒否した。そして、契約を更新できなければ12ヶ月で彼がどこかに退団してしまうこと、それがバイエルンになるであろうことは気づいただろう。
まさにレヴァンドフスキはそれをしたし、彼にとっては最高の決断になった。バイエルンで242試合に出場し、191のゴールを決めてみせた。