箱根登山鉄道の軌跡(10) 空中から客つなぐ

開通当時の箱根ロープウェイ。芦ノ湖方面へのルートが確立し、箱根登山鉄道の業績向上にも貢献した(箱根ロープウェイ提供)

◆ゴールデンコース完成(1960年)

 箱根の観光で、「ゴールデンコース」と呼ばれる人気ルートがある。箱根湯本駅から登山電車、箱根登山ケーブルカー、箱根ロープウェイ、箱根海賊船、箱根登山バスといった小田急グループの交通機関を乗り継いで湯本に戻る回遊コース。箱根ロープウェイが開通した1960(昭和35)年につながった。

◆バス路線で対立

 箱根ロープウェイは早雲山から大涌谷を越え、芦ノ湖畔の桃源台までの約4キロ区間。開通前年に誕生した箱根ロープウェイが整備した。

 整備の“原動力”となったのが、西武鉄道傘下の駿豆(すんず)鉄道(現伊豆箱根鉄道)と、箱根登山鉄道(小田原市)とのバス路線を巡る対立だった。20年以上続いた「箱根山戦争」の一コマである。登山鉄道の社史は「当社創立以来最大級の出来事」として19ページにわたり対立の経緯を取り上げている。

 登山鉄道は50年3月、駿豆鉄道が所有する小涌谷-早雲山-湖尻(桃源台近く)の一般自動車道早雲山線にバス路線の免許を申請した。年内の箱根湯本駅への小田急電車乗り入れとケーブルカーの営業再開を控え、ケーブルカーの終点である早雲山以西の交通ルート拡大が狙いだった。

 翌月には乗り入れ協定を締結して路線バスの運行が始まったが、56年3月に駿豆側が協定の破棄を通告。同年7月から運行できなくなった。このため小田急側は別ルートの開発を迫られ、ロープウエーの建設計画を急いだというわけだ。

◆長年の紛争終結

 空中から観光客を芦ノ湖畔まで運ぶロープウエーの開通は、交通ルートにおける早雲山線の重要性を弱めた。同線は県に売却され、61年から県道として開放された。68年にはバス路線の相互乗り入れについてもお互いが協力し合う旨の協定書に調印し、紛争はようやく終結した。

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