社説[人間国宝に中村一雄さん]歌三線の技芸を極めた

©株式会社沖縄タイムス社

 重要無形文化財保持者(人間国宝)に、「琉球古典音楽」(歌三線)の中村一雄(いちお)さん(73)=那覇市=が新たに認定されることになった。

 県内から人間国宝の誕生は芸能分野で8人目、「琉球古典音楽」では3人目。工芸分野を合わせると、累計13人の認定となる。

 中村さんの演奏は「歌詞と曲趣を的確に捉え、滋味ある歌声で情感豊かに表現する」と高く評価され、「琉球古典音楽の技法を高度に体現している」と認められた。

 中村さんは「びっくりした。夢のような気持ち」と喜びをかみしめる。「完成はない。生きている限り、学びたい」と決意を新たにする。

 心から祝福するとともに、県民こぞって喜びを分かち合いたい。

 歌三線は琉球王朝時代から引き継がれ、生活に深く根差す心のよりどころだ。退嬰(たいえい)的だと疎まれた時期もあったが、歌三線文化を手放さず、家庭に1丁はあるといわれるほどの普及ぶりである。

 中村さんは1971年の初舞台以来、公演や独演会など多くの舞台に出演、卓越した技量で存在感を示してきた。

 後進の育成にも熱心だ。80年に古典音楽研究所を開き、後継者の育成を始めた。2016年からは野村流伝統音楽協会長を務め会員約500人を率いる。弟子ばかりでなく広く指導に当たっていることも評価された要素である。

 本土、海外にも裾野を広げ、関東、ハワイ公演にも積極的に乗り出している。

 「内向きにならず、世界に向かって琉球古典音楽を広めていきたい」と抱負を語る。

    ■    ■

 久米島の旧具志川村生まれ。父親の故昌福さんは村芝居や祝いの座に呼ばれ、歌三線を披露。農作業が終わると、夜は歌三線を奏でる。中村さんは膝の上で聴く。そんな環境の中で育った。

 4、5歳の時に「教えて」と頼んだが、昌福さんは左利き。三線を弾く所作が違うため、実現しなかったという。

 当時は島に古典音楽研究所はなかった。転機は1970年。教えを受けることになる野村義雄さんが新聞社主催の琉球古典芸能コンクールで入賞したとのうわさが島中に広がった。いても立ってもいられず昌福さんの三線を内緒で持ち出し門をたたいた。

 24歳だった。歌三線にのめり込み、起床後1時間、勤めていた銀行から帰ると深夜まで。毎日5、6時間を充て教えを徹底して繰り返した。

 この鍛錬がのどを鍛えた。中村さんの原点である。

    ■    ■

 ふるさと久米島への思いは熱い。人口減少などの困難を抱える島を活性化できないものか。島出身者が集う模合で、その話題になり、中村さんは歌三線で島おこしを、とアイデアを出した。

 行政を巻き込み「久米島古典民謡大会」に結実した。今年10回目を迎え、すっかり定着した。今も顧問の立場で関わり、小中学生から一般までの出場者を温かく見守る。

 中村さんの人間国宝認定は島の人たちに自信と誇りを与える。それだけでなく、同じ芸の道を歩む若い人たちの大きな励みになるはずである。