大正創業「大平湯」営業終了へ 一人で守ってきた銭湯

「大平温泉」の看板を持つ百枝さん。「100年間、利用してくれた皆さんにありがとうと言いたい」=長崎市曙町、大平湯

 大正創業の銭湯「大平(おおひら)湯」(長崎市曙町)が7月いっぱいで営業を終える。4代目の大平百枝さん(78)は32年前に夫に先立たれて以降、一人で切り盛りし建て替えも果たした。だが利用客の減少や自身の高齢もあって「もう十分頑張った」。かつて60軒を超えた市内の一般公衆浴場は6軒を残すだけとなる。

 「寂しくなるなあ」「今までありがとね」。裸の常連客に、番台の上から百枝さんがほほ笑みを返す。郊外に転居した後も通い続ける男性客は「狭い自宅の風呂よりサウナと水風呂、ジェットバスがあるここがいい」。ほがらかな店主としゃべるのもまた楽しみらしい。
 夫忠雄さんの祖父が創業した。屋号は「大平温泉」。温泉ではないが、時代が許したのだろう。戦時中に焼け落ち、近くの現在地に木造で再建した。3代目の忠雄さんは55歳で亡くなった。娘3人を育てた百枝さんは、闘病中の夫からボイラーの操作を教わった。廃油を使う旧式は着火にも手間がかかった。
 49歳の頃、土地を担保に1億円を借り、自宅と貸家、貸店舗を組み合わせた鉄筋3階建てにした。一大決心から間もなく、子宮がんの手術で店を一時離れざるを得なくなり、離れる客もいた。「それでも他に食べていくすべがなく、やめる気は全くなかった。日銭暮らしで必死だった」
 大平湯がある稲佐中央通り商店街の近辺には、かつて魚市場や水産会社があり、漁師の家族が多く住んでいた。風呂がない家も珍しくなく、百枝さんが大平家に嫁入りした1963年ごろは1日に100人ほどの客足があったという。
 それが今は二十数人程度に。燃料の重油はこの30年で5割値上がりした。水産拠点は郊外に移転。住民が減ったのはもちろん、常連客も高齢化し、入浴サービスのある福祉施設へと流れた。
 タイルをぴかぴかに磨くにも、湯舟でのぼせた客を運び出すにも体力がいる。自身も疲れからか卒倒したことがあり、潮時を感じていた。昨年ようやく借金を完済。美容室を営む娘が後を継ぐと言ってくれるのはうれしかったが、十分やり切ったとの思いがあった。
 今後は浴場も貸家に改装する予定。約100年続いた家業をたたむと、代々の墓前に報告すると涙がこぼれた。「でも、よくやったと言ってくれるんじゃないかな」。そう話す百枝さんの笑顔は湯上がりのようにすがすがしく見えた。

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