大ショック!「残留宣言」後あっさりクラブを去った10名のスター選手

サッカーは旅であり、旅とはサッカーである。選手は短い時間でクラブを渡り歩くものだ。

そのような人生の中で、時には短い時間で「心変わり」をしてしまうことも、人間なのだからあるものだ。

『Planet Football』から、「残留宣言からすぐに移籍していった10名の選手」を特集しよう。

ルイス・スアレス

2014年3月、リヴァプールのエースとして得点を量産し続けていたルイス・スアレス。その前年度の12月には、アーセナルからオファーを受けながらも残留し、契約を4年半更新していた。

「僕は新契約にサインした。サッカーと人生を楽しめる場所にいたい。チャンピオンズリーグでプレーできるかどうかにかかわらず」とスアレスは話していたが、夏にはバルセロナに去っていった。

カカ

2007年にバロンドールを受賞したカカはミランのファンに愛されていた。2009年6月、彼はクラブにとどまることを宣言した。

「最後にこう言いたい。僕はミランを離れたくない。静かにしてくれることを願う。僕は誤解されたくないからだ。ミラニスタに伝えたい。僕はすでに決断した!ここで勝ち続けたい。今日、この時点で、この事件は終わったんだ」

その1ヶ月後、彼はレアル・マドリーに移籍した。

スチュワート・ダウニング

ミドルズブラで育成されたダウニング。そこを離れた後に所属したアストン・ヴィラでは非常に優れたパフォーマンスを見せ、シーズンMVPにも選ばれた。

2011年5月、移籍の噂が流れる中でダウニングは「僕はもうファンタスティックなクラブにいるんだ」と宣言。退団に興味はないと語り、新契約の交渉を始めたことを明かした。

その2ヶ月後、リヴァプールに移籍した。そしてそのシーズンは0ゴール0アシストだった。

ソル・キャンベル

トッテナムの下部組織で育成され、トップチームでも9年間プレーしたソル・キャンベル。契約満了を前にした2001年1月、彼は宣言していた。

「僕はトッテナムでプレーしたい。そういうことだ。ここにずっといるのだから、去る理由はない。情熱と欲望を持ってスパーズのためにプレーしている」

そして彼は半年後にフリーで「最大のライバル」であるアーセナルへと移籍した。

チアゴ・シウヴァ

若くして高い評価を受けたブラジル人センターバックのチアゴ・シウヴァ。2012年にはミランと素晴らしい条件で5年間の契約を結んだ。

しかしその12日後、彼はフランス・リーグアンのパリ・サンジェルマンに移籍した。何も語られることはなく、契約というのは信用できないという事実だけを残して。

エマニュエル・アデバヨール

2009年5月、アーセナルでプレーしていた彼はこう話した。「どうやって恩返しをすればいいか。それはトロフィーを取ることだ。それこそがここにいる理由だし、戦わなければならない。ここにトロフィーをもたらせるまで、ここを離れたくない」と。

しかしその直後、アーセン・ヴェンゲル監督と対立した彼はすぐにマンチェスター・シティへと移籍していった。

そしてあの伝説の「アーセナルファンに向かって膝滑り」というパフォーマンスを見せることになる。

ディミータル・ベルバトフ

2008年1月、ベルバトフが代理人に対して「もっとビッグクラブに行きたい」と伝えたという噂がメディアで伝えられた。

「僕はトッテナムの選手だ。ベストを尽くしてチームを助けることができる。現時点では幸せだ。どんなチームでもタイトルやメダルは取れる。トッテナムでもだ」

そして夏になるとマンチェスター・ユナイテッドへ3000万ポンドで移籍していった。

ルイス・フィーゴ

特に詳しく説明する必要もないだろう。2000年に彼は「ルイス・フィーゴは7月24日、シーズンが始まる前にカンプ・ノウへとやってくることを明言する。ファンを安心させたい」と話していた。

そして彼はレアル・マドリーへと移籍し、バルセロナ戦では豚の頭が投げ込まれるなどの大騒動になった。

ファビアン・デルフ

アストン・ヴィラでキャプテンを任されることになったデルフ。2015年1月には4年半の契約更新を決断した。7月10日にはクラブの公式サイトで「彼は移籍しない」という声明が発表された。

「僕は気づいているよ、メディアの憶測が広がっていることをね。しかし僕は退団しない。このシーズンを偉大なクラブのキャプテンとして迎えられる時が待ちきれないのさ」と、デルフは11日に語った。

その6日後、彼はマンチェスター・シティに加入した。

セスク・ファブレガス

2008年、セスクは「キャリアの最後までアーセナルに残りたい」と宣言した。

「僕はとても幸せだ。全てが順調に進んでいる。このクラブに友達がいるし、人生を愛しているし、ファンとも馴染んでいる。クラブが僕を望まないのであれば、スペインに戻りたいが、そうでないならばここにいる。求められる限りは」

とはいえ、バルセロナで育成された選手はおおよそバルセロナに戻りたがるものだ。2011年に彼は古巣へと戻っていった。

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