唯一無二のアイドル、河合奈保子 ♡ ほほえみさわやか カナリー・ガール 1981年 6月1日 河合奈保子のシングル「スマイル・フォー・ミー」がリリースされた日

松田聖子や田原俊彦がデビューしてアイドルの新時代が訪れた1980年、 “ほほえみさわやか カナリー・ガール” のキャッチフレーズでデビューした河合奈保子。当時高校1年だった自分にとって、1963年7月24日生まれの彼女は1学年上のお姉さんだった。

この1コ上というのは実に微妙なラインで、1962年の早生まれで3コ上になる松田聖子がそれまでの70年代アイドル同様に憧れの存在であったり、タメ年の三原順子や薬師丸ひろ子に親近感を覚えたりしたのとはちょっと違う意識があった。友達の姉でも同級生でもない感覚。そして何よりあの豊満なプロポーションに、純情だった高校生は気後れしてしまったのだ。

『明星』だったか『平凡』だったか忘れてしまったが、同期の松田聖子と三原順子と河合奈保子の3人を “聖順奈トリオ” としてグラビア展開されたことがあったのを憶えている方は、もはやほとんどいないだろう。無論 “清純なトリオ” とかけていたわけだが、定着する気配がなく早々と撤収。80年代アイドルの筆頭を飾る新たな3人娘計画は幻に終わった。

キャラクターが違い過ぎたせいだろうか。個人的には『3年B組金八先生』で三原順子のファンになり、『ザ・ベストテン』の初登場シーンで松田聖子にノックアウトされ、さらには薬師丸ひろ子も追っかけていたので、奈保子嬢のフォローが疎かになってしまったことは否めない。新曲が出る度にちゃんと買ってはいたんですけど。

デビューのきっかけは、所属事務所の芸映が催した『HIDEKI(=西城秀樹)の弟・妹募集オーディション』で優勝したこと。6月1日にリリースされたデビューシングル「大きな森の小さなお家」を屈託ない笑顔で歌う彼女の姿には好感がもてたし、歌番組などで明るくハキハキ「ハイッ!」と応える彼女を見るのも好きだった。

サビでいきなり転調するのが印象的なセカンドシングル「ヤング・ボーイ」が好評を博し、続く「愛してます」、「17才」と順調にヒットを連ねた後、5枚目のシングルとしてリリースされた「スマイル・フォー・ミー」の素晴らしさに圧倒された。アイドルポップスの魅力を余すところなく伝えてくれる抜群の傑作は、80年代アイドルソング・ベスト10の上位に喰い込むのではないかと思っている。

トップアイドルとしてのさらなる飛躍が期待されていたところ、次の新曲「ムーンライト・キッス」を展開していた81年10月、公開番組のリハーサル中に舞台の迫(せり)から落ちるという不慮の事故に遭ってしまったのは本当に気の毒であった。それがなかったら同曲はもっと売れていたに違いない。

それでも2ヶ月足らずで復帰した彼女は、年末の紅白歌合戦に初出場を果たしている。そして翌82年は究極の夏ソングとなったサンバ歌謡「夏のヒロイン」や、竹内まりや提供の「けんかをやめて」、83年には筒美京平作品「エスカレーション」、「UNバランス」など楽曲にも恵まれて活躍を続けるわけで、85年まではシングルを年に4枚のローテーションがしっかりと保たれていた。もちろんアルバムも然り。

80年代後半には自作曲が中心となり、アーティスト化していったのは少々意外な展開で、そちらの方のファンも少なくないかもしれないけれども、自分はやはり純粋なアイドル時代の河合奈保子が好きである。筒美京平をはじめ、水谷公生、来生たかお、林哲司ら優れたコンポーザーによる提供曲の中で、アイドル・河合奈保子の魅力を最も巧みに引き出したのは、馬飼野康二だと思う。

デビュー曲「大きな森の小さなお家」をはじめ、「スマイル・フォー・ミー」、「ラブレター」、「夏のヒロイン」などの躍動感に満ちた楽曲群を、彼女ほど清々しく表現出来る歌手はほかにいないのではないか。河合奈保子の歌声をもう一度と願う声は常に絶えない。早く逝ってしまったお兄様の代わりに、いつかまた歌を聴かせて欲しい。

カタリベ: 鈴木啓之

© Reminder LLC