【あの夏の記憶】史上6校目の春夏連覇 興南のエース島袋が語る甲子園の“魔力”「日頃より力が出る」

ソフトバンク・島袋洋奨【写真:荒川祐史】

ソフトバンクに在籍する島袋は夏の甲子園全6試合で先発

 2010年に行われた第92回全国高等学校野球選手権大会。この大会で史上6校目となる春夏連覇を果たし、一躍フィーバーを巻き起こしたのが沖縄県代表の興南高校だった。

 この興南のエースとして同校を頂点に導いたのが、現在ソフトバンクに在籍する島袋洋奨だ。1回戦の鳴門高戦から、2回戦の明徳義塾高、3回戦の仙台育英高、準々決勝の聖光学院、準決勝の報徳学園、そして決勝の東海大相模と全6試合に先発。4試合で完投して悲願の春夏連覇を成し遂げた。

 島袋は選抜でも全5試合に先発して同校の春夏通じての初甲子園優勝を達成。さらに、夏の選手権でも頂点へと駆け上がった。2年の春、夏にも甲子園に出場していた島袋は甲子園通算成績で13試合に登板して11勝2敗。松坂大輔(現中日)と並ぶ通算勝利数歴代5位をあげ“琉球トルネード”として一世を風靡した。

 興南高を卒業後は中央大に進学。中央大では故障や投球フォームを崩すなどの苦難を経て、2014年のドラフト5位でソフトバンクに入団した。ルーキーイヤーに1軍で2試合に登板したものの、左肘の手術を受けたことで2017年オフに育成契約となり、今季も育成選手として、支配下復帰を目指して戦っている。

 一躍“時の人”となったあの夏から、9年が経った。春、そして夏と、全国の高校球児の頂点となった興南高のエース島袋は、何を思うのだろうか。

「2010年の夏は、今まで生きてきた中で1番成長した場所でしたし、いい思い出がたくさんある夏ですね。月日が経つにつれて記憶が薄れてるところもありますけど、やっぱりだいたいのことは覚えていますね。優勝した瞬間は、しっかりと覚えてます」。春夏連覇を果たした2010年を振り返る島袋は、まず、こう語った。

「試合前のキャッチボールで、どこで投げたボールよりも距離を投げられる感じがあった」

 春のセンバツ優勝校として臨む最後の夏。当然、他校のマークは厳しくなり、他校はみな「打倒・興南」を目指して挑んでくる。やはり受けて立つ立場として、やはり、それなりの難しさは感じていたという。「難しさはありましたね。県大会の時もそうでしたけど、春が終わった時点から、夏も(優勝を)というのは色々なところは聞こえたので難しさはありました。県大会は自分たちも沖縄でホームだったので、そこまでやりづらさはなかったですけど、甲子園になると結構研究してきているところもあって、春に比べると難しさはあったと思います」と振り返る。

 春夏連覇を成し遂げたのは興南が史上6校目。1962年の作新学院、1966年の中京商(現中京大中京)、1979年の箕島、1987年のPL学園、1998年の横浜、そして興南。その後、2012年と2018年に大阪桐蔭が達成した。出ることさえ難しい甲子園。その中で負けることなく頂点まで勝ち進むことは至難の業である。

 その頂点に2季連続で立った島袋にとって、甲子園とはいかなる場所だったのか。時には「魔物」が存在するとも言われる聖地だが、島袋にとっては「日頃よりも良いパフォーマンスを出せる場所」と、本来の力以上のものが引き出される地だったという。

 忘れもしないのが、初めて甲子園に出場した時のことだ。「1番最初に出た時に思ったんですけど、アドレナリンが凄く出ているんだろうなと思ったのが、試合前のキャッチボールでめっちゃ遠投で距離を投げられましたね。軽く投げているのに、それまでにどこで投げたボールよりも距離を投げられる感じがあったんです。なんだこれ?と。それは鮮明に覚えています」。甲子園が醸し出す独特の雰囲気、そこでプレーする喜び、アドレナリン……。様々な要素が噛み合い、不思議な力を引き出してくれるのだという。

「感覚は全然違いますね。気持ちの高ぶりもありますし、雰囲気もある中で緊張よりも楽しみ、この中で自分のパフォーマンスを出してやろうという感覚だった。日頃より良いパフォーマンスを出せた場所でした」。島袋にとっては、甲子園は“魔物”が棲む場ではなく、女神が微笑む場所だった。(福谷佑介 / Yusuke Fukutani)

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