長崎大水害

 まさに、たたきつけるような雨だった。近くの溝があふれ水位が上がり、玄関にも水が入り込んだ。当時高校1年。不安になったが、何とか床下でとまり家族でほっとしたのを鮮明に覚えている。長崎大水害から37年がたった▲水害から10年後、防災の現状や被災者の取材で、災害の現場を回った。その中で1人の遺族の男性に話を聞いた▲谷あいにある男性の家は、土砂崩れで跡形もなくなった。男性は仕事で外出していたが、家には妻子がいた。現場を見て、絶望的なのは分かっていたが、助かってほしいと遺体が見つかるまで祈り続けたという▲その地区では、慰霊祭が毎年営まれていたが、思い出すのがつらいと、出席することはなかった。10年の節目を迎え、初めて出席するつもりだと語っていた▲だが、慰霊祭に男性は現れなかった。遺族席のいすが一つだけポツンと空いていた。当日になってみると、どうしても行くことができなかったのだという。家族を失った悲しみの深さを思い知らされた▲ここ数年、毎年のように日本のどこかを豪雨が襲い、多くの犠牲者が出ている。天災の前には無力さを感じることもある。それでも必死に対策を講じ、われわれマスコミはそれを報じる。少しでも犠牲を、そして悲しみを減らしたい。ただ、その思いからだ。(豊)

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