ふるさと納税 泉佐野市「全国トップ」のなぜ? キーマンに聞く(1)

インタビューに応じる泉佐野市の阪上博則理事 右は泉佐野市役所

 故郷の町や応援したい自治体(地方公共団体)に「寄付」をすることで、税が控除されるふるさと納税で2017年度に全国最多の135億円を集め、18年度も市税収入の2・5倍に当たる約497億円の寄付を獲得した人口約10万人の大阪府泉佐野市。その中心人物として、約千種類の返礼品をそろえたり、アマゾンギフト券を上乗せする「100億円キャンペーン」を立ち上げたりしたのが、同市の阪上博則・成長戦略担当理事(47)だ。財政破綻寸前だった町が、彼の下でなぜ寄付額トップへの道を駆け上がり、国との全面対決に至ったのか。総務省により同市など全国4自治体を「不適格」として除外したふるさと納税の新制度開始から約2カ月。除外対応の是非をめぐる争いが同省の第三者機関で繰り広げられている。膨大な寄付を集めたことで「自治体としてふさわしくない振る舞い」などと批判がある泉佐野市だが、全国から賛同の声も多いという。ふるさと納税の知られざるノウハウとキーマンの素顔に迫った。(共同通信=大阪社会部・助川尭史、真下周)

 ▽財政破綻に危機感

 ―泉佐野市に入庁したのはいつ?

 出身は隣の大阪府阪南市。父も公務員で、ずっと同じ道に進もうと思っていました。高校を卒業した1991年に関西空港の建設が進んでいて、一番発展しそうだと思った泉佐野市に入りました。当時はバブルがはじけたばかりだったけど、役所はまだ余裕があって、仕事しながら夜間で和歌山大学に通いました。午後5時になればすぐ帰れるような時代だったので、若いうちは遊べてうれしかったですね。

 ―その後不況の波にのみ込まれたが

 1994年に空港ができたけど、景気の悪化で利用者が低迷して、人口増を見越した再開発もことごとく失敗しました。(空港島の対岸の)りんくうタウンは空き地だらけ。もうそこからは、だんだん下り坂。LCCのピーチ・アビエーションが2012年に就航するまでは「関空なんかなかったらええのに」「なんであんなもん造ったんやろ」と思っていましたね。

 ―当時の仕事は?

 税務課の納税徴収担当で、差し押さえの件数は庁内でもトップの成績でした。差し押さえは、殴りかかったり、包丁を出してすごんだりする滞納者とたたかわなければいけない。気合と根性で仕事していました。気合いと根性があって健康で仕事ができれば、高い能力が求められるのはごく一部の仕事。それ以外は誰でも頑張ればできますよ。市税なので、昔は滞納に対する差し押さえは役所も踏み込みづらかったけど、ぼくが(担当部署に)行ってからは、そういう流れをつくった。おかげさまで滞納整理も進みました。

 ―12年にふるさと納税担当に抜てきされた。市の雰囲気は?

 09年には「財政健全化団体」に指定されて、財政は破綻寸前でした。千円2千円の予算すらカットしなければいけない状況。職員の給料も最大で15%くらいカットされて、辞める人も多く、庁内全体がどよーんとしていました。僕らの頭にあったのは財政破綻した北海道夕張市。給料がどれだけ下がったとか、町がどんな状況なのかという情報が入ってきて、うちもそうなってしまうという危機感、悲壮感がすごくありましたね。

泉佐野市ふるさと納税寄付金額の推移

 ▽「全国ランキング」あまり認識せず

 ―なぜふるさと納税に目を付けたのか?

 現在の千代松大耕市長が11年に就任してから、財政を緊縮するだけでは限界があるので、税金以外の収入を確保しようという方針になりました。他にも体育館などの公共施設の命名権の売却などをやっていて、ふるさと納税もその一環でした。政策推進課に移り、市長から「ふるさと納税に力を入れてくれ」と言われました。当時の寄付額は600万円ほど(11年度=633万円)。ぼくも泉佐野市が助かるというので寄付していたんですよ。

 ―どのように改革を進めたのか?

 12年にプロジェクトを立ち上げて、鳥取県米子市などが複数の返礼品を用意して寄付額を伸ばしていたのを参考に、特産の泉州タオルだけだった返礼品を地元産のタマネギやキャベツ、水ナスなどを加えて19種に増やしました。地場のもの以外を取り扱う考えは当時なかったですね。制度の知名度はほとんど無い状態だったので、市内の事業者を一軒一軒直接回って頼みました。結果、寄付は前年度の約3倍の約2千万円になった(12年度=1902万円)。種類を増やすのは有効だと思って、翌年は返礼品の数を30品に増やすと、寄付額はさらに倍以上になりました(13年度=4605万円)。

 ―14年度には寄付額が10倍になり、初めて億を超えた

 この年から関西空港に本社を置くピーチと提携して、航空券と交換できるポイントを返礼品にしました。ちょうど千葉県市川市がコンビニなどで使える「Tポイント」を返礼品にして寄付を伸ばしていた時期で、たまたま僕がこの年にピーチに出向したのもあって、より魅力的なものが提供できないかと打診して実現しました。最初は全然鳴かず飛ばずの状態でしたけど、年末にかけてどんどん額が増えて、気づいたらこの年の寄付額の4割をピーチポイントが占めました。「ポイント」がこの年、全国的にブームになって、寄付額は全国トップ10に初めてランクインしました(14年度=4億6757万円)。前年度は50位くらいだったかな。

 ―当時から全国ランキングは気にしていたか?

 何位とかあまり認識してなかったです。でも、この時期に(寄付者と自治体を)仲介するポータルサイト「ふるさとチョイス」を運営するトラストバンクが主催したセミナーに行って、そこで他の自治体が集めている額を初めて知りましたね。13年度は兵庫・淡路市が8千万円、佐賀・玄海町が2億円くらい集めていたんですよ。まだまだ上には上がいるんやなと思った時に、全国の自治体と戦っていかなあかんとすごく感じましたね。でもね、セミナーで「日本全体で住民税が12兆円ぐらいある中で、上限額いっぱいだと2兆円ぐらいの市場規模がある」「化粧品とかと同じくらいのマーケットがある」と聞いて、まだまだ伸びる余地があるなら、うちだけに寄付をいただくのではなく、他の自治体さんと一緒に、ふるさと納税の普及を働きかけていかなければ、とも思いましたよ。

 ―15年から牛肉やビールなど、地元の物以外の返礼品提供を始めた

 以前は年によって返礼品のトレンドが違いました。やっぱり人気なのは肉、カニ、米の「三種の神器」。市場の状況を見ながら先取りをやっていかなあかん、マーケティング的な要素が必要や、というのを感じました。ぼくがピーチ出向から泉佐野市に戻ったのが16年4月ごろ。当時、全体の市場規模は前年の4倍になってました。それでもまだ450億円ぐらいですね。出向中の2年の間に、泉佐野市でも肉が出せないかと模索したようで、市内のお肉屋さんが仕入れた他県の牛タンなどを出すようになりました

 ―地場産品以外を返礼品とすることへの考えは?

 当時は地場産品だけでやっている自治体の方が逆に少なくて、批判的な意見はなかったですね。僕らとしては地場の物がないから、よその物を取り扱う認識でした。泉佐野市で扱う返礼品で、ピーチポイント以外は他の自治体でも当たり前に出している品。それで勝負する分にはいいんちゃうか、というのが僕らのルールでした。選べる返礼品の種類を多くそろえることで、他の自治体との競争力を付ける戦略。業界の中で批判される返礼品はよくないと考えていたんですよ。家電とか金券とか換金性が高くて、簡単に寄付を集めてしまうものは当然汗をかかないので、そういうものに手を付けないのが正義と考えてました。

 ▽総務省との考えの違い

 ―地場産品でないものが地域活性化につながるか?

 あまり細かいことは考えていませんね。他の自治体でも普通にやっていましたし。それに返礼品は基本的に地元の事業者から購入しています。事業者が潤えば、当然われわれにも税収増という形で跳ね返ってきますから。店内がきれいになったり、新たな事業を展開する事業者がでたり好循環も生まれました。それに地場産品を扱ってなくても、商品の仕入れ先である他の自治体にお金が落ちれば、日本全体の地域振興に役立つでしょ。寄付額が伸びるにつれ、全国から商品を泉佐野市の返礼品として取り扱ってほしい、という要望も寄せられてきましたね。

 ―なぜ他の自治体から売り込みが来るようになったのか?

 商売をしている方から見ると、泉佐野のやり方が今後伸びると気づいてくれたんでしょうね。例えば他の自治体は寄付者へのサービスとして、返礼品の配送日指定をしていますが、うちでは受け付けてません。協力先の多くはメーカーや農家なので、普段から通販に慣れている訳ではないので。事業者がしんどい目に遭ってまで、サービスを充実させるのは違うと思ったんです。それで個々でやりやすいようにやってもらいました。また、よその品をお借りする以上配慮は必要だと思って、近江牛とか、地ビールのように地域のブランド名を冠したり、同じ品でも産地の返礼品より量を増やしたりするのはやめました。そういった積み重ねが信頼につながったんちゃうかなと思っています。

 ―寄付額が10億円を突破した(15年度=11億5084万円)頃から、総務省から自治体に対して返礼品の規制が始まった

 高額な家電や金券を返礼品にする自治体が現れ、高額所得者が節税対策で利用する問題が生じ始めました。2千万円とか寄付して、1千万円の金券もらって高級外車を買うみたいな。僕らとしてもある一定の規制が必要なんじゃないかとは思っていました。でも最初は、換金性の高い返礼品だけを規制していたのが、総務省は①寄付額に対する返礼率(還元率)を3割以内に(17年4月)②返礼品は地場産品だけに(18年3月)、という通知を次々と出してきました。個々のケースを見ず一律に、です。今思えば、この辺から考えがずれ始めたなと思いますね。

 ―泉佐野市と総務省の考えの違いとは?

 ふるさと納税の活用方法は自治体によってまちまち。うちのように税外収入を増やすのがメインの自治体もあれば、シティプロモーションとして使うところも。返礼品をきっかけに元々のブランド(特産品)を売り出していきたい自治体もあります。低迷する地場のものや伝統工芸品を返礼品にして、少しでもお金を回したい自治体からすれば、還元率が高い方が地元に落とせるお金は大きくなってメリットは大きい。各自治体が知恵を絞ってやっているのに、一律で規制してきたから、かなり違和感がありましたよ。総務省の担当者に直接、意見をぶつけてみましたが、明確な回答の無いまま、うちを含めた特定の市町村を「違反自治体」として公表してきた(18年12月)。そこからは総務省のやり方に不信感を抱くようになりました。

 ―その前の17年には、泉佐野市もやり方の見直しに傾いていたが

 当時の野田聖子大臣が原因ですよ。当時は還元率を3割以内に、という要請でしたが、ぼくらは自治体同士で横のつながりがあるので、連絡を取り合ってみんなで一緒に見直しをやろうとしていたんですよ。ところが9月に野田大臣が「自治体にお任せすればいい」と姿勢を一転させたんです。それを受けて、うちも含めて寄付額の上位自治体は、見直し作業はペンディング(保留)しました。その年の寄付額は全国トップの135億円になりました(16年度=34億8326万円 17年度=135億3251万円)。

泉佐野市役所

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