「サッカーコラム」強豪・チェルシーを沈めた中村憲剛の「違い」

チェルシーに勝利し喜ぶ川崎・レアンドロダミアン(奥右)と中村=日産スタジアム

 期待にあふれた数万人の視線を一身に浴びる―。それは、どういう感覚なのだろうか。ゴール裏のウオーミングアップゾーンからビブスを脱ぎながらベンチに戻る途中で、6万人が埋め尽くしたスタジアムの雰囲気が一瞬にして変わった。そんなことができる中村憲剛のような存在感抜群の選手は、Jリーグの歴史を見てもそう多くはないだろう。

 「Jリーグワールドチャレンジ」と銘打って7月19日に横浜で行われたJ1川崎とイングランドの強豪・チェルシーが相まみえた一戦。今季の欧州リーグ(EL)王者がどれほどの“本気度”で臨んでくれるのか。これが、試合の価値を決めると思っていた。クラブのレジェンドで先日監督に就任したフランク・ランパードが「しっかり戦ってくれた」と評価したように、結果的には有意義な試合となった。特に川崎の日本人選手に与えた刺激と経験は大きかったのではないだろうか。

 日本のチェルシーファンが憧れの選手を目の当たりできて、川崎のサポーターが自チームの勝利に喜ぶ。恐ろしく蒸し暑かったが、誰一人不満を抱くことのない夜だった。そんな試合で“違い”を見せたのが川崎のバンディエラ(旗頭)だった。

 アディショナルタイムも含めて、わずか10分で何をできるか。後半38分から交代出場した中村は、世界に通じる戦術眼と技術で早々にスタンドを沸かせた。後半40分にはチェルシーの左サイドバックの裏にスペースを見いだし、馬渡和彰を走らせる浮き球のパス。馬渡のクロスをヘディングで合わせたレアンドロダミアンのシュートはクロスバーをたたいたが、いきなり決定機を作り出した。

 決勝点も中村の冷静な観察眼が生きた場面だ。チェルシーは新チームを立ち上げたばかり。加えて、後半には選手が大幅に代わった。「(守備の組織が)仕込まれていないと思ったんで」と選択した左サイドのショートコーナー。脇坂泰斗とのパス交換からクロスが相手DFに当たってこぼれたところを、すかさず逆サイドに浮き球のクロスを放つ。その視線の先にはレアンドロダミアンがいた。チェルシーが本拠を置くロンドンで開催された、2012年の五輪で得点王に輝いたストライカーは、たたきつけるようなヘディングでゴールへとねじ込んだ。

 「素晴らしい試合をしていたので、あとはゴールが決まればすべてが落ち着く」

 そう振り返った元ブラジル代表のプライドがもたらした決勝点だった。

 世界的チームを相手にすると、なぜか怖気づいてしまう。多くの日本人選手にそんな傾向が見て取れる。ところが、ブラジル人選手はまったくコンプレックスを持っていないように思える。その経歴も相まって「格」で引けを取らないレアンドロダミアンはもちろん、随所で体を張った好守備を見せて完封勝利に貢献したジェジエウも同様だった。ブラジルに帰れば、彼らの周囲には日常的に世界的名手が当たり前に存在する環境があるからだろう。

 そのブラジル勢とも一線を画した川崎の“仙人”的存在。中村が披露した試合の流れを達観して見詰め、敵の穴を的確に突いていく実行力は見事だ。その中村をレアンドロダミアンは次のように評した。

 「彼はモンスター。彼が隣にいれば、それだけでチャンスを作れると思います」

 チェルシーは来日してまだ3日というハンディがあった。さらに、欧米人は日本の梅雨時期特有の、空気がまとわりつくような暑さには慣れていない。それでも、川崎は勝ちにこだわった。

 「自分たちが100パーセント勝ちに行って得られるものと、なんとなくイベントとしてやって、勝ったり、負けたりしても何も残らない」

 鬼木達監督とチームは、貴重な機会から何かを学び取ることに貪欲だった。

 そのなかで試合の大半を客観的に分析していた中村は、0―0で終えた前半にこそ世界の超一流との差があったという。Jリーグでは圧倒的にボールを支配して、パスを回しながら相手を崩していく。そのスタイルは、このレベルの相手には通じなかった。逆にチェルシーを相手に、ボールを取りに行っても軽々と外され前を向かれて押し込まれる。Jリーグで2連覇をした川崎のサッカーは通じず、逆に圧倒的な主導権をチェルシーに握られた。

 質の違いが表れる原因は、実にシンプルだ。それは、ボールをいかに止め、いかに蹴るかという「基本」に差があるからだ。実を言うと、日本は育成年代からサッカーの根幹をなすこの技術が想像以上におろそかにされている。

 「(現状では)どうしようもない部分がある。一つは止めて、蹴る。(ボールが)止められるから向こうの選手は、いろんな選手が見えるので逃げられる。こっちがプレッシャーをかけても、プレッシャーに感じていない」

 中村の言葉の中に真実がある。基本中の基本を極めることが、日本が世界と戦う最低条件となる。それを無視すれば未来はない。

 記者会見でランパード監督の体格を見てびっくりした。現役時代より肉がつき、ラグビー選手のようなものすごい肩幅だ。基本的に欧米人は日本人と骨格が違うのだ。考えただけで、フィジカル勝負は分が悪い。日本人はやはり、技術を突き詰めるしかないのだ。

岩崎龍一(いわさき・りゅういち)のプロフィル サッカージャーナリスト。1960年青森県八戸市生まれ。明治大学卒。サッカー専門誌記者を経てフリーに。新聞、雑誌等で原稿を執筆。ワールドカップの現地取材はロシア大会で7大会目。

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