学校はプログラミング教育をどこまでやるべき? プログラミング教育のホントのところを考えてみた

2020年から小学校ではじまるプログラミング教育。学校のIT環境の整備不足、教え手不足などさまざまな問題が叫ばれています。今回は、学校はどの範囲までプログラミング教育をやるべきなのかを考えてみたいと思います。

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学校はすべて教えることができるか

まずは少し別の視点から見てみましょう。まだ地域の関係性が残っていた時代は、学校教育と地域や家庭教育はうまくバランスをとって行われていました。地域社会全体で子どもたちを育てるという意識があった時代です。学校で教えてくれないようなことを地域の人たちが教えてくれる構図はどこか懐かしさを覚えます。

しかし、核家族化が進み共働きの家庭が増えて家族と地域社会の関係が希薄化するにつれて、私たちは学校という場に子どもの教育をすべて任せるようになってしまいました。「教育のサービス化」という言葉は、まさに現在の学校と家庭との関係を象徴しています。私の中高時代の先生は「教育とは学校と家庭の共同作業だ」とよく語っていましたが、現代社会では厳しくなっているように思います。

また、学校で教えなければならないことは年々増え続けています。ゆとり教育は約10年ほど前の話で、2020年からはじまる新学習指導要領では、35単位時間分授業時数が増えていますし、道徳や外国語活動が教科化されたり、プログラミングなどの新しい学習内容が詰め込まれていきます。たしかに、時代の流れのなかで子どもたちが身につけるべき資質・能力は変化していきますが、あれもこれもすべて学校で扱うことはできません。どうすればいいのでしょう。

社会に開かれた教育課程の実現

新学習指導要領のポイントのひとつに「社会に開かれた教育課程の実現」があります。

教育課程の実施に当たって、地域の人的・物的資源を活用したり、放課後や土曜日等を活用した社会教育との連携を図ったりし、学校教育を学校内に閉じずに、その目指すところを社会と共有・連携しながら実現させること。

これは、簡単に言ってしまえば子どもたちの教育を学校だけで完結させることはできないので、地域社会のリソースをうまく活用しながら子どもたちを育てていこうという考え方です。私は、この社会に開かれた教育課程の実現こそがこれからの学校教育改革に必要だと思っています。そして、プログラミング教育はこの考え方ととても親和性が高いのです。

1つの事例をご紹介します。私が関わっている千葉県柏市では、2017年度から市内にある42校すべての小学校4年生を対象にしたプログラミング教育を先行実施しています。授業はICTアドバイザーと担任のチームティーチングによって行い、教育委員会が作成したカリキュラムを使っています。私が代表を務めるCoderDojo Kashiwaはカリキュラム作成の初期からプロジェクトに参画し、先生方と一緒に作り上げました。柏市では、学校はあくまでも入門の場所であり、授業で興味関心をもった場合は家庭で動画教材などを見たり、CoderDojoのような社会教育の場で学びを深めていくことを想定しています。

学校と社会教育の理想的なモデル

また、柏市ではプログラミング教育市民ボランティアを組織しています。やはり担任の先生1人でプログラミング教育をしていくことは難しいため、子どもたちのサポートができる補助的な役割を担ってもらいます。こういったモデルはまさに、社会に開かれた教育課程が実現されていると言えるのではないでしょうか。プログラミング教育は、社会に開かれた教育課程の実現とセットで進めていくことが理想的です。

社会教育の視点で言えば、たとえば総務省は「地域ICTクラブ」地域実証事業を進めています。これは、少年サッカーチームや野球クラブが各地域にあるように、プログラミングクラブがあれば地域での学びが促進されるだろうというもので、少しずつではありますが全国に増えています。またCoderDojoは全国に180箇所以上も広がりを見せており、中には学校や教育委員会と連携をしている道場もあります。やはり、学校はあくまでも入門の場として捉え、やりたい子がドンドンやれる環境を整備していく必要があるでしょう

CoderDojo Kashiwa が地元の小学校と協力してプログラミング体験イベントを開催したときの様子

では、なぜ学校でする必要があるのか

ここまで書くと、なぜ学校でプログラミング教育をする必要があるのかを考えたほうがよさそうです。はたしてやりたい子たちだけがやっていればいいのでしょうか。

私は、やはり義務教育段階ですべての子どもたちが1度でも体験するということに意味があるように思います。プログラミングは音楽や図工と同じで、子どもたちが一度は体験するべきものになりました。コンピューターを自由に扱うことで子どもたち自身が(いくつかの意味で)表現する幅がぐんと広がります。コンピューターは紙にもペンにものりにもハサミにもなります。これらを使って自ら何かを作り出す体験は、何にも変えることはできないでしょう。

これまでの学校教育は「結果の平等性」を担保しようとするあまり、自らをがんじがらめにしてしまっているように思えてなりません。子どもたちは一人一人特性が異なります。皆が同じようなことをできるようにするのではなく、自分が得意なことを伸ばしてあげられる、そんな教育へ変わらなければなりません。しかし、得意なことを見つけるのは簡単なことではありません。これからの学校は「機会の平等性」を追求するような場になるべきです。

日本の学校教育システムは諸外国に比べてとてもしっかりとできています。義務教育段階でプログラミングが入ることによって、ほとんどの子どもたちが体験できることに意義があると考えます。学校がするべきことは、子どもたちとプログラミングを幸せに出会わせることに尽きるでしょう。そして、私たちにできることは、それ以上にやりたい子たちに学校以外の選択肢を提示することではないでしょうか。

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