大滝詠一「恋するカレン」絶対にカッコ悪くなりたくない男の意地? 1981年 6月21日 大滝詠一のシングル「恋するカレン」がリリースされた日

聞くだけで、懐かしさが胸に広がる曲がある。生まれてもない時代の、したこともない体験に切なさ覚えるのは、なぜなのだろう。

1981年6月21日発売の大滝詠一「恋するカレン」は、まるで映画や小説のように心象風景が描き出されている、私の大好きな曲だ。歌謡曲バーでアルバイトしはじめてから聞いた曲で、紛れもなく一番響いた曲だと思う。

7月28日の大滝の誕生日に寄せて、思い入れ深いこの曲を語れることがひたすらに嬉しい。

「恋するカレン」を耳にするたび思うのは、きっと誰もの心の中にある、「好きだった人」を思い出す時の、甘く、せつない、だけど嫌ではない… という不思議な感情だ。それとも心地よい苦しさ、ともいうべきか、優しい思いが心を覆う。

目を閉じると、涙がつーっと自然とつたうような、そんな心のゆらぎを、絶妙に大滝のナイアガラサウンドと、松本隆の詞が表現している。それはまるで、浜辺に寄せては返す波のような心の様子が、そのままパッケージングされたような、フレッシュな切なさだ。それを開封した人が、その感情にざぷんと潜れる、そういう魅力がこの曲にはある。

振られた瞬間の、全てがスローモーに見える感覚、自分と目の前にいる相手とのへだたりに呆然とするしかない状態。そんな、映画や小説のようなシーンを、音楽で描いてゆく。

歌い出しに出てくる「キャンドル」や「スローな曲」というワードだけで、ゆらゆらとゆらめく心の中の情景が浮かび上がる。

心が、優しく切ないメロディに持っていかれて、じんわりと広がるこの感情を、なんと表現すればいいだろうか。

私がこの曲のなかで一番好きなのは、「頬は彼の肩の上」からの、ラストパートに向けての間奏である。

映画のラストシーンのような盛り上がりは、恋に別れを告げる走馬灯のようで、胸が苦しくなる。

目を閉じて、まぶたに浮かぶのは彼女との「あったかもしれない」思い出、今まで募らせた思い、その全てを振り返って、恋心を捨てる瞬間というのを、音楽で痛いほどに伝えてくる。

私はこのドラマティックな構成がたまらなく好きで、いつも見たことない時代の、したこともない恋愛を妄想しては胸が苦しくなる。そして、最後のパートで、

 かたちのない優しさ  それより見せかけの魅力を選んだ  Oh KAREN 誰より君を愛していた  心を知りながら捨てる  Oh KAREN 振られたぼくより哀しい  そうさ哀しい女だね君は

と歌う。女の立場からすると、この男は振られた腹いせになんてことを言うのだろうか、とも思うけれど、これは「今でも君を愛してる」とか「別の男と幸せになってくれよ」なんて相手への好意が残っていると、明確な「諦め」や「恋との決別」はできないわけで、恋の幕を下ろす、というテーマにおいて執着を手放すためには、やはりこのフレーズしかないよな… と思う。

華やかで優しい間奏とのギャップがまた良い。こんなに洒落た失恋ソングを私は他に知らない。ラストも含め、絶対にカッコ悪くなりたくない男の意地みたいなのを感じるけど、そこがこの曲のロマンを出しているのだと思う。

振られてるのに、こんなにかっこよく歌えるものだろうか? 私はプライドの高さとロマンチストであることは表裏一体の関係になっていると思っていて、そんな、男の視点から優美で切ない歌詞とメロディが紡がれているのが、決して惨めにならない爽やかな失恋ソング「恋するカレン」の魅力なのだろうな、と思う。逆に惨めさを出しまくりなのは、中島みゆき「化粧」だと思っていて、これはこれで最高である。

たった、3分26秒の音楽の中で、恋の終わりを鮮やかに描いた「恋するカレン」。時代や世代を超えて、爽やかな切なさに今日も私たちの心を浸らせてくれる。

カタリベ: みやじさいか

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