【あの夏の記憶】沖縄県勢初V 6試合783球を投げた興南島袋が思う“球数制限”「投げられない方が悔しい」

ソフトバンク・島袋洋奨【写真:荒川祐史】

2010年の甲子園で興南は史上6校目の春夏連覇を果たす

 今から9年前の2010年。第92回全国高等学校野球選手権大会で沖縄県勢として初の夏の甲子園優勝、そして史上6校目となる春夏連覇を果たし、一躍フィーバーを巻き起こしたのが興南高だった。

 この興南のエースとして同校を頂点に導いたのが、現在ソフトバンクに在籍する島袋洋奨。決勝の東海大相模戦まで全6試合に先発。4試合で完投して沖縄県民の悲願を達成した。島袋は選抜でも全5試合に先発して同校の春夏通じて初の甲子園優勝を達成。甲子園通算成績で13試合に登板して11勝2敗。松坂大輔(現中日)と並ぶ歴代5位の通算勝利数をあげ“琉球トルネード”として一世を風靡した。

 卒業後は中央大に進学。中央大で故障や投球フォームの崩れに泣かされたものの、2014年のドラフト5位でソフトバンクに入団。ルーキーイヤーに1軍で2試合に登板したものの、左肘の手術を受けたことで2017年オフに育成契約となり、今季も育成選手として、支配下復帰を目指して戦っている。

 その後も背負い続けることになる甲子園V投手の“看板”。9年経った今、島袋は「僕の中では誇りですね。それがなかったら、いま、こういう人生はない。あの優勝はいい経験。その後の人生がいい影響を与えてくれた。あれがあったから、今プロにいられるというのは間違いないと思うので、勝ってなかったらまた違った人生になっていると思います」と語った。

 最近、何かと話題となっている高校野球での“球数制限”。甲子園で13試合に投げ、3年の夏は4試合で完投、6試合で783球を投じた島袋は、この“球数”についてどう思うのか。

「一概には言えない」と、球数制限を求める声にも理解

 島袋は前段階として「いまは色々とあるので一概には言えない」と、賛否両論、双方の考えを理解した上で、甲子園の決勝まで戦い抜いた1人の投手としての意見を語ってくれた。

「僕個人的には気にしていなかったですね。しんどいとかは思ったことはないです。甲子園で投げられる機会がそうそうあるわけではないので、投げたいという思いしかなかったですね。そこを目指して、制限で投げられないとなると、僕個人としてはそっちの方が悔しいと思いますね。1ミリも後悔を感じたことはないですね。それまでに準備しておくのも、最後まで勝ち抜く過程としてやってきていたので」

「練習も相当やって、ケアもやって夏に臨んだ。投げるしんどさもなかったですし、そこに関しては準備してきたので全然いけますよという心構えでした。自分の立場なら、投げたいですね。それで負けるのも悔しい。ベンチから見ていたら、悔しいと思います。高校球児にとっては、将来よりも、目の前の試合を、というのは間違いないこと。そこを目指してやってきているものなので」

 甲子園を目指す、甲子園を勝ち上がるための目の前の一戦一戦が、その瞬間の人生の全てだったと島袋は言う。もちろん、将来がある選手たちの怪我を危惧する声も理解はできる。ただ、「その先を考える選手であったら何とも言えないですけど、僕はあそこで勝ちたいというのを優先していたので」と、9年前の自分に照らし合わせて語った。

「後々の怪我になったりとかすると、言われるじゃないですか。だから、どうなんですかね…。難しいなと思いますね。どっちも思うこともあるので」と島袋。最後の夏に783球を投げた左腕は“球数制限”には複雑な表情だった。(福谷佑介 / Yusuke Fukutani)

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