国策落語 “抑圧された笑い” 林家三平 長崎で高座

国策落語「出征祝」を口演する林家三平=長崎市平野町、長崎原爆資料館ホール

 戦後の歴史の中で廃れ、忘れ去られた落語がある。太平洋戦争中、国民の戦意高揚を目的に作られた「国策落語」。落語家の2代目林家三平は、その演目の一つ「出征祝」を約70年ぶりに復活させた。このほど長崎原爆資料館ホール(長崎市平野町)で開かれた長崎平和推進協会(横瀬昭幸理事長)の設立記念事業「戦争(せんそう)と演劇(へいわ)」で、特別高座として披露。抑圧された当時の“笑い”と世相を、巧みな話芸で再現した。
 「これから話すのは決して面白い噺(はなし)じゃありませんよ」。にぎやかな出囃子(でばやし)に合わせて高座に上がった三平は、こう断って口演を始めた。「出征祝」は商家の若旦那に召集令状が届き、大旦那や番頭、使用人が祝いの宴を開こうとする内容の創作落語。使用人が口々に食べたいものを言うと、「ビフテキはぜいたくだから敵」「トンカツは若旦那が敵に勝つって意味で食べて良い」と大旦那。さらに「オチ」へと続くやりとりはこうだ。

 使用人「俺は飯よりも酒を飲みたい」
 若旦那「それだったら一升瓶を2本買ってある。2本買った(日本勝った)」

 口演を終えた後、三平は客席へ向けて「当時の落語家はこんな作品しか話せなかったんです。悲しい時代でした」としんみりした表情で語った。
 「出征祝」は元々、三平の祖父に当たる名人・7代目林家正蔵が戦時中、戦意高揚の国策の下で披露していた。三平は昭和の爆笑王として知られた父・初代三平の足跡を調べる中で、その事実を知ったという。
 「落語は欲望や願望を押し切ろうとして失敗しちゃう人間の業を笑い話にしたもの。ところが国策落語は国のために貢献しようというプロパガンダ。他者の欲望を押しつけられる噺なんて、面白いわけがないから戦後はウケなくなって廃れていった」
 三平は2016年に「出征祝」を復活させ、全国各地で高座にかけている。あえて現代に、戦時中の演目を披露するのはなぜか。「軍だけではなく、庶民も含めた国家全体が戦争への道を進んでいったことを、作品を通じて多くの人に理解してもらうため。国民が喜んで戦地へ兵隊を送るために、当時の落語家が利用された事実も伝えたかった」
 高座の前に原爆資料館を見学した三平は「空襲や原爆など戦争被害にはいろんな形があると感じた。いまの社会の空気は、戦前のそれと似ている気がする。一人一人が平和について考え、未来を構築することが大切」と述べた。
 会場では戦争の悲劇を描いた映画「サクラ花-桜花最期の特攻-」の上映もあり、約300人の市民が参加。雲仙市から家族3人で来た長崎日大中1年の音部明日香さん(13)は「戦争は悪い事なのに、良い行為だと国民が思い込まされていたことが分かった」と話した。

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