市民の生活再建を最優先。河川整備計画も見直し~大洲市復興支援課

愛媛県南予地方を流れる一級河川、肱川。「肱川大洲のうかい」は、日本三大うかいの一つとして知られ、大洲の夏の風物詩となっている。

その肱川が平成30年7月豪雨により氾濫。肱川流域は全川にかけて浸水に見舞われた。市内の約4,600世帯・事業所が浸水、5人(災害関連死1人含む)が死亡し、上水道の水源地も被災した。繰り返される肱川の氾濫や、今後の被災者の生活を中心に、大洲市総務企画部 復興支援課の谷野秀明さんに話を聞いた。

 

──復興支援課創設の経緯について教えてください。

大洲市では、被災後の昨年9月1日から復興支援室が企画政策課内に設置され、兼務して復興に関する業務を行っていました。今年度からその業務を地域活力課へ移し、復興支援課として創設されました。

現在、3月に策定した大洲市復興計画に基づいて全体を支援・調整しています。復興事業はそれぞれ担当課ごとに個別に動いていますので、それを全体的にコーディネート。復興計画をマネージメントするのが復興支援課の役目といえるでしょう。「こういった部分の支援が薄い」等、相談業務などで上がってきた問題を反映していきます。

復興計画では、必要な事柄を「市民生活の再生」「生活基盤の再生」「経済・産業の再生」「防災力の向上」に分類し、全88事業を位置付けました。現在、その計画に沿って、取り組んでいるところです。この88事業にとどまらず、事業を増やしたり、見直したりと、計画全体をディレクションしていきたいと考えています。

大洲市総務企画部 復興支援課 谷野秀明さん

 

──仮設住宅の現状について教えてください。

現在、愛媛県が大洲市の徳森公園に45戸、大駄場ふれあい広場に15戸の仮設住宅を建設しています。そのほかに民間の空き家物件を「借上型」とするみなし仮設もあります。仮設住宅は来年9月まで入居が可能で、その間に災害公営住宅を建て、そちらに入居していただこうと計画中です。大洲市災害公営住宅基本計画においては、市内に4カ所、70世帯を整備目標として準備中。場所も未定であることから、場所も含めて調整しているところです。

 

──他の、市民生活に直結する取り組みについて教えてください。

被災者の生活再建を一番の目標に置いて、業務については昨年10月に発足した大洲市地域支え合いセンターに委託をし、個別訪問や相談業務を展開しています。同時に、被災者の心のケアも行います。市として「できること」「できないこと」がどうしてもありますが、できることは関係部署につないで対応していくという流れにしています。

 

──現在、市の取り組みで一番力を入れているのは何でしょうか。

やはり被災された方の生活再建を最優先に取り組む必要があると考えています。また、肱川が氾濫したことによる被害が大きかったということで、河川の防災対策の強化も重要です。復興計画に位置付けている「防災力の向上」の中にある「国・県による河川激甚災害対策特別緊急事業への協力・支援」がこれにあたります。肱川は一級河川で、国管理の部分と県管理の部分がありますので、国や県と協力しながら、いち早く治水対策を進めていかなければいけないと思っています。復興は、6年計画。まずは肱川の治水安全度の向上が重要です。今回、洪水により苦労され、被災された方々を「水害から守る」こと、そして「安全安心な暮らし」に戻ってもらいたいと願っています。

肱川の水害については、今までも繰り返されてきた経験や経緯があります。しかし、昨年は経験したことのないような激甚な被害となりました。それに対するハード面はもちろん、ソフト面の事業も大切。自主防災組織を中心とし、市民と一緒に防災対策を行っていきたいと考えます。

肱川の氾濫により流失した大成橋(画像提供:大洲市)

 

──市内の自主防災組織について教えてください。

自治会ごとに、市内では33の自主防災組織が立ち上がっています。中でも三善地区では「災害避難カード」を作っていて、平時からの災害リスクの把握とともに「私は誰です」から始まって、どこに逃げたらよいのかを記載したカードを全世帯に配布されています。それを、災害時には首から下げて避難していこうという取り組みです。この取り組みは、全自治会・全自主防災組織にも広げていけるようサポートしてまいります。

 

──いわゆる「風評被害」がありましたか。

懸念はありましたので、「元気ですよ」というアピールもしていきました。大洲の観光事業の一つに「肱川大洲のうかい」があります。被災して1カ月後の昨年8月、打撃はあったものの、安全に配慮して「うかい」を再開しました。今年も6月1日から始まっています。例年並みとはなかなかいきませんが、観光まちづくり課が主体となり、産業や観光振興につなげようと頑張っています。復興半ばではありますが、元気だと伝えようと、「がんばろう!大洲」と書かれた横断幕や幟も作りました。

大洲市庁舎2階テラスに掲げられた横断幕
10月に完成した「復興ポロシャツ」

 

──他自治体からはどのような協力がありましたか。

応援職員として来ていただき、一時的あるいは中長期的な応援がありました。今年度も、愛媛県内の職員さんを中心に、わが市に来て復興のお手伝いをしていただいています。災害について経験がなく、何も分からない状況の中、本当にありがたいことです。逆に地震など広域にわたる被害のときは、対応できないこともあるかと思うと恐ろしいですね。

 

──肱川流域が災害の中心と言ってよいでしょうか。

土砂災害被害で亡くなった方も1名おられますが、広範囲的な土砂崩れはありませんでした。5名の犠牲者のうち、肱川の氾濫により命を落とした方が3名でした。肱川流域は、ちょうど「手のひら」のような形をしており、大洲盆地に川が集中しているため、洪水が集中しやすく、四国の河川の中でも河床勾配が緩やかなため洪水が流れにくく、また、下流域には狭隘なV字谷が形成され、河口部が狭いため洪水が吐けにくいという、洪水被害を受けやすい地形的特性があります。川の流れに沿って、かなりの面積が浸水しました。沿川には住宅が集まっていますし、一時期断水にも見舞われ、住民の皆さんは大変なご苦労をされました。そんな中、高速道路や一般道路の寸断がなかったことが救いでした。土砂で寸断されていたら、救援物資も届かなかったかなと思います。流された橋はありましたが、物流においてはなんとかカバーできたと思います。

浸水被害は広域に及んだ(大洲インターチェンジ付近・画像提供:大洲市)

 

──この1年を振り返って、行政機関として変化してきたところを教えてください。

未曽有の災害。それを想定しながら行政の運営をしていかなければならない。というのを肝に銘じました。

今回「避難情報の発令や情報伝達の不備」という反省点もあって、全職員対象にアンケート調査を行い、災害対策本部における人員配置や流れなどを見直しました。

 

──災害に強いまちづくりに向けて、どんな取り組みをしていますか。

河川整備は多くの費用と時間がかかります。堤防整備に加え、もう一つダムを作るという計画もあります。現在の河川整備計画は平成16年につくられましたが、今回の災害を受けてもう一度見直しが必要ということで、現在見直し作業が進んでいます。対策が薄いところ、危険箇所を手当し、昨年のような水害が防げる肱川にしようと動いています。

何といっても肱川本川からの被害が一番大きかったので、「肱川が氾濫しなければ被害も少ない」ということ、国・県・市一体となって安全なまちづくりを進めていきましょうという一言に尽きます。早く河川を整備して、安全な所で暮らしたいと私個人的にも願っています。市民の皆さんもきっと同じ意見だと思います。
いまできること取材班
取材・文 門田聖子(ぶるぼん企画室)
写真 堀行丈治(ぶるぼん企画室)

「平成30年7月豪雨から一年 復興二年目のいまできること」特集ページ

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