遊助 地元・横須賀で凱旋ライブ 「あと100年頑張る」

8月に横須賀でライブを行う遊助。俳優、歌手とマルチに活躍するが「音楽はオレの地元」と笑った

 遊助の名で歌手活動をしている横須賀市出身の上地雄輔(40)が8月29日に、地元・横須賀芸術劇場(同市本町)でライブを行う。3月にソロデビュー10年の節目を迎えた。

 幕開けした第2章では「今までと同じように『来年はないかもしれない』と思いながら、目の前のライブを一つ一つ、大事にこなしていきたい」と気合をみなぎらせている。

 「プロ野球選手になりたい」と白球を追い続けた横浜高校時代。2年生の夏にけがに襲われ、歯車が狂った。背番号「2」に別れを告げ、1999年に俳優として始動した。

 下積み時代に役立ったのは、キャッチャーとしてチームを引っ張っていた際に身に付けた「状況を判断する力」だった。

 クイズ番組でのユニークな回答が注目され、同番組の共演者と結成したアイドルユニット「羞恥心」で2008年に歌手活動を開始。翌年、シングル「ひまわり」で遊助として歌い始めた。生み出した200曲以上の歌詞は、全て自作。「自分の言葉で伝えること」にこだわってきた。

 ドラマや映画、情報番組などで、引っ張りだこだが、「俳優、タレント、歌手。どの現場でもよそ者扱いされる」と落ち着ける場所がなかった。「何のために頑張るのか分からず、やめたいと悩んだ時期もあった」と振り返る。

 〈君がいるから俺は笑う〉

 そうつづった「ひまわり」から10年。ライブ会場では、ファンが手にしたヒマワリの花を揺らし、「かっ飛ばせ!」と声をそろえて、迎えてくれる。

 「かっ飛ばせ!!」

 バッターボックスで聞いた、アルプスからの声援。今は舞台上に届けられる。どちらの声にも「みんなを喜ばせたい」と反応する自分がいる。

 最新曲「千羽鶴」はtvkの全国高校野球選手権神奈川大会中継テーマソングに起用された。勝利に向かって突き進む人、支える人にスポットを当てた歌詞は実体験も含まれている。

 「みんなが求めてくれるから存在できる。感謝を何倍にもして返せるよう、あと100年ぐらい頑張りたい」

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