第253回「絶望の夜からの脱出」

編集部の意見で「小説」の文字数を大胆に増やしませんかと言うことで、頑張ってみましたが……どうなんだろうか(笑)。

小説ー5「絶望の夜からの脱出」

あらすじ

難病に侵され希望を失った男が、公園のベンチで出会った女に声をかけた。女もまた残り少ない命の終わりを決めかねていた。海を歩くふたりは果たしてどんな未来を選ぶのか。

もう陽は遠くの富士の陰に沈んでいる。私は夕闇の中、無言で砂の上に立ちあがり表情を硬くして歩く。街道沿いに見える小ぎれいなシティホテルに向かった。月夜には浜風が頬を撫でる。一歩遅れて彼女は気だるそうについてくる。

部屋に入ると窓から海がひらけ、はっとするほど美しい江ノ島の海が一面に広がっていた。江ノ島の灯が美しく海面に漂っている。空虚に乾いた清潔な部屋。今夜の月明かりの空はどこまでも透明に広がっている。風が吹き、大型タンカーが通るとさざ波が白い線を引く。夜は私を誘う。夜はワルツのように旅をする。浅い夏。ふっと耳鳴りがした。私を呼んだのは亡くなった母。

「余命三ヶ月と宣告された今日が私の人生で最後のセックスね」と彼女はつぶやき、思い切りよく自らスカートとブラジャーを海の見える窓に投げ捨てた。素晴らしい肉体。闘病生活の影は全く見えなかった。私はまだこの女の名前も歳も知らない。行きずりの刹那の瞬間。それでいいのだと思った。私は絶望が足らないのか。

すらりとした肢体、豊満な乳房があらわになった。子供を生んでいるようには見えなかった。

「女性に必要とされない人生、だから女性を必要としない人生を送って来た」

私は抱き合った彼女の裸の肩にぽつねんと呟いた。お互いやることは一つだ。彼女は私のベルトを外してくれた。そして、ペニスを取り出すと指が動いた。それから、舌でつつんでくれた。柔らかいものがいきり立ってくる。

「どんな気持ち」と彼女は聞いてくる。

「興奮していて何が何だかわからない」と答えた。それは本当だった。

私は彼女を無造作にベットの上に押し倒した。とにかく相手の意思など私にわかるはずはなかった。キスもなしに豊満な乳房を握りしめ、がむしゃらに挿入を急いだ。彼女が絶頂に達したのかどうかもわからず、私は数年ぶりに膣内での射精をした。「あ〜あぁ〜」という声が聞こえ、膣から外したペニスにそれからまた長い間吸い付いて来た。だが私には続けて二回をする能力はなかった。そんな体力もないはずだ。もうすでに私の体の性欲は喪失していた。

「セックスで私を救っていただけますか」と聞いて、「セックスであなたを救えるかどうかわからないけど、いいわ」と答えた彼女。

一回目が終わると私たちは海が見えるベランダでバスローブのまま向き合った。私たちは喋ることも和むこともない。ただ世を儚む同士がセックスするためだけの存在でしかなかったはずだ。冷蔵庫からビールを取り出し、静かに彼女へ酒を注ぐ。明日にはもうこの女性とは縁がなくなると思った。孤独で傷ついた二人の会話はない。こんなことは慣れているはずだ。長い沈黙が続く白い甘酸っぱさ。異性の優しさに出会うのはどこか居心地が悪い。これでしばらくはやって行けると思った。有線から静かにセロニアスモンクのジャズピアノが流れていた。しばらくの沈黙があって、僕たちは物音の途絶えた深い静けさの中にある。

「ありがとう。本当にありがとう」と僕は寂しく言った。「もうあなたとは今夜で終わりで二度と会うことはないのでしょうね」あと何時間かたったら二人はどこかで別れるはずだ。

「今夜はどこに帰るの」と女は言った。

「明日、朝の江ノ島のサンライズを見たい。僕は今夜ここに泊まります。あなたは」と聞いてみた。

「いいわ。付き合ってあげる。カリカリのベーコンエッグが朝食ね」とにっこりして言った。

それから私たちは眠ることすら忘れて、淡々とお互いの苦難の話をした。それは尽きることがなかった。

「私はもう65歳になります。ず〜っとこの難病と戦いながら、まだなんとか望みがあると思い続けて来ました。週三回の透析治療。汗も小便も出ない。体がどんどんむくんでくる。しかし今の僕には生きてゆく目的も理由もなくなってしまっているんです。これから苦痛にまみれ、10年生きながらえたとてそこには一体なにがあるでしょう。きっとなにもない。苦しむだけの人生は辛すぎます。自殺を考えていました。つまり自分の命が延命できたとしても、これから先、いつ死に至るのかわかりません。ほっといたら確実に死ぬんです。」私は淡々と表情を変えず冷静に語った。

冷蔵庫にブランデーがあった。それは小さな瓶に詰まったブランデーだった。時々見える空は赤く、なんと無慈悲に美しくなり、そして消えていった。

「ブランデーを飲みませんか」

「いいわ。ブランデーなんて久しぶり。今日は酔ってしまいそう。余命半年と宣告された私。これは冗談でなく、自分の命があと半年で尽きようとしているの。主人も子供達も友人もただ同情するばかりで、元気出してっていうばかりだったわ。わかっちゃくれていないと切実に感じて、抗がん剤治療も辛いだけで意味がなくなって、無駄に入院しているのが辛くなったの。一人になろうって思って家を出たわ。一人でどこかで野垂れ死んじゃおうって思ったの。きっとあなたならわかってくれると思ったわ。眠ったら一生意識が戻らないのではないかと思たりするの。」

「つまらない一生だったなんて思って死にたくない。僕は今日のセックスで少しは生きながらえようとする力が出て来た感じがします。だから本当にありがとう。できたら恩返しがしたのです。残された時間、あなたはなにがしたいですか?やり残した人生の数々、これからそれを一つ一つ確認しに行きましょう」

「私の人生、なにもなかったなんて情けないわ。今あがいているんです。実は私、主人以外とセックスするのが初めての経験でした。あっ、死ぬまでにやってみたかったこと、ひとつクリアしました。こっちこそありがとうを言いたいわ」

「人間の一生なんてそんなこんなで終わってしまうんだろうね。」

「私、親の遺産で新宿に小さなビルを1軒持っているの。それを密かに処分して来て、どうやったら死ぬまでにこのお金を心置きなく使えるか……本当は残された家族のためにと思っていたけど、自分のために使おうと思うの」

「はあ」

「手伝ってくださらない?」

「僕にそんな資格も能力もない。でも、このまま医者とか家族から看取られて死にたくはない。」

「お願い。私には親も兄弟も親戚も友達も全て終わったの。みんなから看取られて泣かれて死ぬなんて嫌なの。あと半年の私の命、できたら私の最後まで付き合って欲しいの。あなたと私の掴みきれなかった「探し物」を見つけに生きましょう。同病同志で……。」

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