災害時も平時も、住民の困りごとを解消したい ~宇和島NPOセンター代表 松島陽子 さん

宇和島市で最も被害の大きかった吉田町。市役所支所や 、銀行などが集まる一角に「宇和島NPOセンター Carriage(キャリッジ)吉田バンズ」が7月3日、開所した。

センター内はとても明るく、立ち寄りやすい雰囲気。こちらは、①行政や社会福祉協議会、NO団体、民間団体等の、地域のネットワーク構築 ②NPO団体の支援 ③災害支援 ④防災教育 ⑤産業振興の5つの事業を柱とした中間支援団体。宇和島市全域を事業対象として、活動を開始したばかりだ。代表の松島陽子さんに、設立までの経緯と現在の取り組み、今後について話を聞いた。

──団体設立の経緯について教えてください。

災害発生直後から宇和島市、西予市、大洲市の3市で「 ひめ県会議」が開催されており、県や各市も含む約80団体が、さまざまな課題解決に向けた話し合いと情報の共有をしています。宇和島市でも同様の話し合いの場を持とうということになり、8月10日から「牛鬼会議」が開催されることになりました。現在、行政、市社会福祉協議会、JAえひめ南、 団体などが2週間に1回程度集まり、支援に関する情報や、現場で抱えている課題を共有しています。毎回20団体前後が参加しています。

牛鬼会議(画像提供:松島さん)

牛鬼会議の中で「災害後に立ち上がった団体が多いので、今後の活動のためにどう支援するべきか」「他団体と協働するために、一緒にできることはないか」「皆さんそれぞれ得意なものを持っている。それをより生かすことはできないか」という声があがりました。また、牛鬼会議をコーディネートしてくださっていた全国災害ボランティア支援団体ネットワーク(JVOAD)さんが3月末に撤退を決定。おそらくその時期をめどに、他の支援団体も撤退するだろうということに。徐々に「市民と行政、企業、NPO団体などをつなぐ中間支援組織の必要性」に注目が集まりました。中間支援組織とは、さまざまな団体とのつながりを持っている組織が「仲介役」として存在し、問題解決のためにつなげる役割を担う組織のことです。そこで、牛鬼会議のメンバーたちが中心となり、中間支援組織の立ち上げを目指す「宇和島NPOセンター」設立準備会が1月26日に発足しました。

その後、市に寄せられた支援金をもとに、センター開所に向け動き出しました。センター内の備品のほとんどは、中古品を支援団体からいただいたり、もともと自分たちが持っている物を持ってきたりして揃えました。今後の運営費用は、助成金がいただけるよう計画しています。

センター開所日(画像提供:松島さん)

──中間支援組織としての役割は、どんなものがありますか。

「中間支援組織って何?」という声もあり、「市民の意見を聞くべきでは」と思った私たちは、5月に市民会議を開催。「人と町を元気にするために、災害時だけでなく、平時から支援の連携の調整をします」と、中間支援組織の在り方について説明を行いました。

市民会議では、普段困っていることについて意見を出し合ってもらう中で、災害以外にも、子育てや教育といった日常生活で多くの問題点があることが分かりました。中間支援組織が立ち上がることで「相談したくても、どこへ相談すればいいか分からない」という人たちの問題解決にもなればと思っています。一人の問題解決が、その人の元気につながるだけでなく、まち全体の元気につながるからです。

──今後の団体運営について、どのようにお考えですか。

「平時でも、顔の見える関係をつくる」ために、いろんな団体に関わってもらうのも大切なことと考えます。時には助成金をいただくためのお手伝いをしたり、直接的な支援をしたり。ニーズや情報を引き出して、より良い団体へつないでいきたい。今後、ネットワークを広げていくために、市内の各団体とのネットワークを構築し、市や社協とも深く連携していきたいと思っています。

センターも実は被災地。「ここまで浸水した」というところを説明するためにシールを張ってある。

──喫緊の課題としては、どんなことが挙げられますか。

防災教育では、災害に強いまちづくりをするための意識付けが重要と考えています。同時に、子どもたちの教育も大切なこと。例えば「レベル5」とはどういう状態を表すのか、どういう状況になったら避難するのかを知ってもらいたいですね。「自分の命は自分で守らないといけない、人に頼るのではなく、警報が出る前に自分が逃げる」、そのための啓発をしたいと思っています。今年は「防災教育」の情報を集める年と位置付け、来年以降に引き継いでいきたいと思います。

時には講師として学校に呼ばれることもあります。今まで経験したことを伝える、子どもたちに伝承するだけでも、それは防災力につながっていくと思うからです。例えば地域の人たちとの関わりの中で「昔はこんなことがあった」と聞くだけでも一つの知識。人の話を聞く、ということは、防災につながるだけでなく、日頃からのコミュニケーションにもつながるのです。

産業振興についても、被害の大きかったみかん農家に対して、みかんボランティアセンターやJAなどと連携した支援につなげていきたいです。やるべきことはたくさんありますので、柔軟に動いていきたいです。

 

──松島さんにとって、ボランティアとは何ですか。

ボランティアは、被災地に行って作業するだけではないと思います。募金することも、どのう袋に応援メッセージを書くことも、「いま、何が必要なのか」と考えることも、全て助け合いにつながると思うのです。

この活動ができるのは、家族の理解があるからだと感謝しています。実は我が家は、私の活動をきっかけに、家族3人が防災士の資格を取っています。「お母さんがボランティア活動に出ている。では、ぼくは何をすればいいのかな?」という思考になることは、例えば家族が病気になったときにも役に立ちますよね。

メッセージが描かれた土のう袋

──最後に、松島さんの原点を聞かせてください。

いろんなことをさせてもらっていますが、原点はPTA活動です。県PTA連合会の役員も4年間やらせてもらいました。「子どもの笑顔が未来につながる。私たちのできることは、子どもの笑顔がみたいから」という思いの元、気持ちを同じくする仲間と活動してきたことは、私にとって大きな財産です。おかげで、いろんな人たちとのつながりができました。誰かに何かを相談されたときに、つなぐこともできるようになりました。

マイナスになることはない、本当に勉強になることばかり。本業の面でも、プラスになること、気付かされることがありますよ!

ただ、そんな私たちの活動を支えてくれているのは家族。それだけは忘れないようにしています。

 

いまできること取材班
取材・文 門田聖子(ぶるぼん企画室)
写真 堀行丈治(ぶるぼん企画室)

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