心のケアとコミュニティ支援を継続したい~大洲市社会福祉協議会

2018年7月に豪雨災害が発生すると、愛媛県内の3市(大洲市、西予市、宇和島市)全てにボランティアセンターが立ち上がった。大洲市ボランティアセンターは、昨年12月から大洲市地域支え合いセンターに機能移管し、今なお被災者に寄り添った活動を続けている。発災直後から現在に至るまで、現場と深く関わっている社会福祉協議会職員に話を聞いた。

お話を聞いたのは、大洲市社会福祉協議会職員で、大洲市地域支え合いセンター 副センター長の黒江雄一さん(右)と、同職員で、同センターのコーディネーター、横山真衣さん(左)。

──被災当時の様子について聞かせてください。

黒江さん 大洲市は昨年7月7日に肱川の氾濫により被災。ここ社会福祉協議会(社協)も、床上約40センチ浸水しました。9日くらいから「ボランティアセンターはできるんですか」と問い合わせが寄せられており、10日午後に立ち上げました。

(画像提供:大洲市社会福祉協議会)
社会福祉協議会本所玄関には、被災時の水位を示す表示がある

──災害ボランティアセンターの運営についてはいかがでしたか。

黒江さん ボランティアが一番多く集まったのは、7月の海の日を含む3連休。15日は、1099名、3日間で約2,100人に来ていただきました。災害やボランティアについて学んでいない職員のほうが多い中でのボラセン運営は、それは大変でした。ボランティアの皆さんに数時間待ってもらうことになるなど、混乱しましたね。ボランティアする側も不慣れな人が多かったので、適した服装などの声掛けをするなどし、安全な活動のためのサポートをしていきました。

そんな中、社協間のつながりは心強いものでした。県内社協の協定で、先発隊で応援が入り、四国ブロックの協定の応援もいただきました。いざというときの支援体制により、経験のある職員がサポートしてくれることは、本当にありがたかったですね。アドバイスをもらいながらセンター内を少しずつ改善し、運営を見直していきました。

(画像提供:大洲市社会福祉協議会)

ボランティアのニーズは、最初は被災ゴミの搬出と処分、堆積した泥出しが多かったです。8月いっぱいは床下の泥出しなどを行いました。

それまでのニーズは、1日40~50件、8月以降は少し終息して10件程度に減っていきました。9月以降は、ボラセンの規模を縮小し、運営スタッフが減る中で、通常の社協業務も行うように。「今後どう運営していくか」が大切になってきました。職員の疲労もピークでしたね。

今回の災害では、いわゆるNPO等で技術系のボランティア活動をしていただける団体がとても少なかったのですが、地域的に「宇和島にはボランティアが入りにくいだろう」とか「大洲以外の地区は人出が足りないだろう」という感覚が働いたのでは、と予想しています。また、大洲市はもともと水害が多いことから、経験があるからこそ「自分たちで何とかできる」という思いもあったのではないでしょうか。しかし、4,000戸を超える冠水は、地元だけでは対応できない部分もあったのは事実です。

(画像提供:大洲市社会福祉協議会)

──その後、どういった形で地域支え合いセンターへと移行したのですか。

横山さん 10月に「大洲市地域支え合いセンター」を立ち上げるということになり、私は社協の業務もこなしつつ、被災者の相談業務、地域支え合いセンターのコーディネーターとして奔走しました。センター開所時に3人の臨時職員を相談員として雇用。9月に仮設が建設されたので、まずは職員さんに仮設を訪問してもらいました。

仮設では「地域支え合いセンターができました。困り事があれば相談してください」とあいさつし、一軒一軒訪問。入居した住民の、元の住所が違う世帯同士では、なかなか交流が生まれないものです。そこで、「仮設団地では炊き出しを通じてコミュニティづくりをする動きもあるよ」とアドバイスをいただき、炊き出しの仲介をするなどしてコミュニティ支援をしたこともあります。私だけでなく、どの職員も業務を兼務しながら乗り切りました。

 

──現在はどのような取り組みをされていますか。

黒江さん 災害から1年が過ぎ、ニーズとして上ってくるのは、今は引っ越しや住宅再建に関わる作業に加え、今まで手が付けられていなかった事柄や、カビが生えたという相談などです。

訪問して寄せられる住民の声を聞くと「雨やダムに対する不安・不満」が住民の中には根強いかなと感じますね。今年度から相談員が6人に増え、2,500世帯を対象に回ってもらっています。

 

──直面している課題がありますか。

横山さん エリア的に言えば、全エリアを巡回しましたが、昼間だとお会いできていない人もいるので、今後は会えないところの状況確認をどうするのかも課題ですね。

被災者や仮設暮らしの人からは「サイレンの音が怖い」「災害時を思い出して落ち着かない」「眠れない」という声が寄せられています。精神的にあまりに不安定な人については、保健師につなぐようにしています。高齢の人は、市・包括支援センターにつなぐこともあります。

黒江さん 1年を振り返って「まだまだ」というのが正直な感想です。あと1年もすれば、仮設の入居期限となります。生活再建が思うように進まない人は、さぞ不安がおありと思います。

では、どうやって生活再建を支援していけばいいのか。健康面の問題もあります。地域の人と一緒に解決していく体制づくりも大きな課題です。私自身も、「どの程度見守っていくのか」「フォーマルに、定期的に関われるのか」というところが難しいと感じています。これといった特効薬もない中で、かつては存在したコミュニティの再構築も問題になってくるでしょう。

──今後の活動で重視することについて聞かせてください。

黒江さん センターの中だけでは十分に対応しきれないこともあるのは事実。他の関係機関や、地域住民と話をしながら少しずつ、丁寧に対応していく。時間はかかるかもしれませんが、人を増やせばいいとか、専門職がいればいいというものではないと思っています。普段からつながりを作っていくことが大切。仮設住まいの人が一人でも減って、元の生活に戻ってほしい、元の生活に近い状態になってほしいと願って、支援を続けていきたいと思います。

 

横山さん 訪問については、対象エリアを一巡しています。(令和元年6月末時点)全地域を訪問する中で、人それぞれ、抱えている問題も違います。今後、「支え合いセンターとしてどこにウエイトを置くのか」を考えねばなりません。まずは被災者の声を聞く、そして適切に状況を把握し、どうつなげていくかを考える。その後の方向は、皆で相談し、最善策を考えてつないでいきたいですね。人のつながりこそが大切なこと。気持ちに寄り添ったサポートを続けていきます。

 

いまできること取材班
取材・文 門田聖子(ぶるぼん企画室)
写真 堀行丈治(ぶるぼん企画室)

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