成宮アイコ「人から人へ、水面のように言葉が広がっていく〈朗読詩集〉に込めた思い」

会話の代替として〈詩〉を選んだ

──そもそも詩を書くようになったのはどんなきっかけだったんですか。

成宮:〈詩〉と言われるとわたしの中ではしっくりこない部分があって、自分としては作文のような感覚なんです。小学校の低学年の頃から「喋り方がぶりっこ」とか「声がヤバい」とか言われてたんですよ。たまたまそういう声質というだけで、自分でもコンプレックスなのに。それで人と喋るのは無理だなと思うようになって、家庭でも祖父から「お前は家族の最下位だ」と言われてDVを受けているうちに、この世界での自分の立場は一番下だという意識になってしまったんです。人と会話するのは難しいけど、声を出すのも苦痛で。だけど、1日じゅう誰とも喋らないと、その日の出来事がわたしの脳内でどんどん消えていくんです。それがすごく不安で、会話の代替として書き始めました。それがだんだん増えていって、挙げ句の果てには日記を5種類書くようになったんですけど(笑)。

──二重人格ならぬ五重人格だったと(笑)。

成宮:覚え書き用の日記、自分の感じたことを一文にする一行日記、詩っぽく書いてもいい日記、手帳に書く内緒の日記とか。あとは…自分がなりたかった理想の自分日記です。「今日は友達と長電話しすぎて親に怒られちゃった」みたいな空想の自分をブログで公開していました(笑)。

──会話の代わりだった文章がいつしか詩へと変化したのはいつ頃だったんですか。

成宮:学生時代に不登校がちになって、自分ひとりの時間が有り余っていたんです。スーパーのイートインやイトーヨーカドーのトイレの前のベンチとか学生があまりいない所を転々としていて、その中にミニシアターのフリースペースがあったんです。そこで展示をしていた人に「いつもいるよね」と声をかけられて、「何か書いてるなら、ここに貼ればいいんじゃない?」と言ってくれたので、そこで言葉の展示会をすることになったんですよ。と言っても、習字紙に書いた言葉を壁や天井、床の空いた部分に貼りまくっただけなんですけど。その頃から、徐々にメモから短文の詩みたいなものになっていった気がします。

──人前で自身の詩を朗読するようになったのは、書くだけでは満足が行かなくなったからですか。

成宮:地元の新潟にNAMARAというお笑いの事務所があって、そこがアナウンサーや学校の先生、障害のある人といったいろんな人たちが自分の好きなものや書いたものを朗読する『金曜ロードクショー』というイベントを開催していたんです。それを見に行ったところ、多種多様すぎて、自分の思ったことをこうして声に発していいんだとびっくりしました。その後、「イベントに出てみませんか?」と誘われたんですが、声にコンプレックスがあるし、当時は醜形恐怖症がピークだったのですごく悩みました。でも、人とコミュニケーションをする最後のチャンスかもしれないと思い、ステージの真ん中に人形を置いて、舞台袖で朗読をする形で出演しました。そしたら、朗読した内容に「自分もそうです」と共感してくれる人が出てきて、定時制高校や看護学校に呼ばれて朗読をするようになりました。ただその頃は、みなさんに顔を机に伏せてもらって、自分の顔を見られないようにして朗読していたんですけど。

──その辺りの経緯は、2年前に書肆侃侃房から刊行された著作『あなたとわたしのドキュメンタリー ─死ぬな、終わらせるな、死ぬな─』をご参照いただくとして、初の著作を上梓してからご自身を取り巻く環境は変化しましたか。

成宮:自分がライブで直接行けない所にも書籍という形でなら、言葉は届くんだなと思いました。実を言うと、わたしは〈死ぬな、終わらせるな、死ぬな〉というサブタイトルは強すぎるから付けたくなかったんですが、出版社の社長さんに「絶対に付けたほうがいい」と勧められたんです。もともと「あなたのドキュメンタリー」という詩に〈死ぬな〉という言葉はなくて、朗読を続けているうちに出てきた言葉なんですよ。あるライブに友人の形見を持ったお客さんが来てくれて、「友人は死を選んでしまったけれど自分は生きる」とライブ前に聞いて、本番で咄嗟に〈死ぬな〉という言葉が出てきたんです。そうやって朗読していくうちに詩の内容が変化することがよくあるんです。

怒りを全面に出すことはもうおしまい

──今回発表される『伝説にならないで ハロー言葉、あなたがひとりで打ち込んだ文字はわたしたちの目に見えている』を読ませていただいて、前作との作風の変化を感じました。あとがきでも書かれていましたが、当初は怒りを発端として詩の朗読に発展していたのが、怒りだけでは収まらない何かを内包するようになったと言うか。

成宮:北陸でイベントを主催してくれた方に、なぜわたしのことを知ってくれたのか訊いたら、仕事を辞めてもう死にたいと思っていた時に図書館に行って、自分が言われたかった〈死ぬな〉という言葉を検索したら、わたしの本が出てきたそうなんです。本来サブタイトルには使いたくなかった〈死ぬな〉という言葉がそんなふうに誰かに伝わって、自分の意思じゃないことも何かのきっかけになることを知ってから、少しずつ変化してきたように思います。最初はたとえば祖父への怒りとかを声に出していたのですが、怒りをただ怒りとして出しても興味のある人にしか届かないから、できるだけ怒りに思われないように言葉を投げかけることを意識していました。バンド形式で朗読をしたり、MCはできるだけ明るく喋ったり。そうやって詩の朗読をポップにデコレートしていたら、「詩の朗読ってこういうものもあるんだ」と足を止めてもらって、「実は自分も不登校だった」と言われることが増えたり、福祉や教育関係の方だけじゃなくて、ライブハウスにいる方が共感してくれることが増えたんです。それで、案外みんな人間関係が苦手なんだということを知りました。そういう経験を積み重ねていくうちに、怒りを全面に出すやり方が自分の中では終わったんです。

──それまでは同じ弱者の立場にある人たちに向けて発信していく限定的な表現だったわけですよね。

成宮:「死なない! 生きるぞ、こっちだ!」みたいな、拳を突き上げるような、それこそアジテーションみたいなやり方でした。だけど、アジテーションはもうおしまいなんです。わたしたちは生活も環境もそれぞれバラバラだけど、それぞれの生活をそれぞれがなんとか頑張って積み重ねていることにおいてはみんな同じなんだと今は思えるんですよ。

──確かに「みんなちがって、みんないい」という金子みすゞの詩に通ずる世界観が今回の著作に収録された詩には通底しているように感じます。

成宮:秋元康さんが書いた、欅坂46の「サイレントマジョリティー」の歌詞とは違ったところにいたいです。「One of themに成り下がるな」じゃなくて、「One of themだっていい」って思いたい。多様性と言うならば、どの人生にも〈成り下がる〉なんて言いたくないんです。

──成宮さんの表現がユニークだと個人的に思うのは、言葉を費やすことに虚無感を覚える一方で、それでもやはり言葉でしか思いを表現し得ないというねじれのバランスなんですよね。

成宮:声コンプレックスが強いので、いまだに静かな喫茶店で注文する時にすごく緊張するし、電話でのやり取りもこの声だからバカにされてるんだろうなとか思っちゃうんですけど、それでも人と会話がしたいんです。たとえば、仕事を辞めて無職になったって話してもらった時に、わたしも無職の時期が長くあったので、「公園のベンチを転々とする気持ちわかる〜」と返す。そのやり取りって、わたしが学生時代にしたかった「昨日のドラマ、面白かったよね」みたいな友達との会話のテンションに似てるんです。

──そんなふうに成宮さんの詩は〈表現〉ではなく、あくまで〈会話〉なんですね。

成宮:会話のひとつの手段です。無理に決まってるけど、理想は100人いたら100人全員をわかりたいし、わかられたいんです。〈わかってほしい〉じゃなくて〈わかられたい〉。相手のこともわかるところはわかりたい。わかんない人はわかんなくていいよって投げちゃうと、そこで終わっちゃうじゃないですか。

──成宮さんの詩は眼差しがフラットで、異物を拒否しないスタンスですよね。生きづらさを拗らせて意固地になるのではなく、扉は常に開かれていると言うか。

成宮:あらかじめ別の人で趣味や癖も違うのに、自分の好きじゃないものをdisったり比べ合うのが嫌なんです。たとえばわたしはシイタケがすごくキライで、絶対に料理に入れないでほしいけど、スーパーに並んでいてもいいし、シイタケを好きな人のことをキライではないですし。それと同じ感覚で、他人と自分がちゃんと地続きでいてくれないと生きづらいんです。

自分たちが地続きであることを伝える困難さ

──SNSの世界でも自分と意見や感じ方の異なる人に対して不寛容になってきているのを全体的に感じるし、成宮さんの詩は誰かとわかり合う上でのヒントになるのかもしれませんね。

成宮:理解や納得はしなくていいけど、ただ認め合いたい。自分たちは地続きであることを伝えるのはすごく難しいです。自分と反対側の意見に、「ここから出てって」って言えば一言で終わるし、disはたった一言で済むのに、そうじゃなくて〈この世界はつながってるんだよ〉と伝えるには言葉数がたくさん必要で、なぜ悪意を覆すのはこんなに苦労するんだろう? という憤りも時には感じます。でもそこで落胆しないように、そのためにもわたしは言葉にして、声に出していたいです。

──できるだけみんなで生きるために、誰もが死ななくて済むように〈死ぬか殺すか以外の選択肢を一緒に作〉ろうとするのも大変な作業ですよね。

成宮:疲れるけどそれが自分に必要なことだから、朗読する時はできる限りその場にいる全員と目を合わせるようにしています。

──だから成宮さんにはライブが不可欠なんですね。

成宮:人と人が言葉を通して目を合わせることは意味があると信じたいです。

──今回の詩集には、古くは2011年の詩から現在までの詩が精選されていますが、どんな意図でこの32篇が選ばれたんですか。

成宮:出版社の方が、内容が少しずつ変化していく過程を見せるのは重要なことだから年代順に並べましょうと言ってくださいました。古い詩は入れること自体が恥ずかしいし、しかも年代順なので最初のほうに来ちゃうから戸惑いもあったんですけど。

──2011年頃の詩はまだ独り善がりと言うか、言うなれば〈独白〉ですよね。誰に語りかけるわけでもなく、あえて言うなら自分自身に呼びかけている。それが年を追うごとに少しずつ言葉に肉体性が伴うようになって、語りかける対象が明確になっていく印象を受けました。

成宮:当初はひとりでいて母親としか話さない日が多かったので、朗読という手段を見つけたことで徐々に変化していったと思います。ライブではわたしが読んだ紙を自由に持ち帰ってもらえるようにしていて、自分の気持ちと合う紙を持って帰ってくれる方の姿に希望が持てました。

──基本的な質問なのですが、成宮さんの詩はすべて朗読するのを前提に書かれているんですか。

成宮:はい、ここ数年の詩は特にそうですね。だから詩集の話をいただいた時に、紙媒体で読まれることが心配になって、「この詩たちは、本として出す意味が本当にありますか?」と出版社の方に何度も訊いてしまいました。あくまでも声にして発することが前提なので、フレーズの繰り返しも多いし、普通に文字として読むとおかしなところがいっぱいある気がして、不安で。

──繰り返しが多いのは、歌で言うところのサビみたいなものじゃないですか?

成宮:そうですね、テーマかもしれないです。わたしは常に頭の中で何種類もの考えが同時進行してしまって、人と話していても、「昨日言ったことはヘンだったかな」とか「帰りはどの道が近いかな」とか「いま目の前で話している人、そろそろ疲れてるだろうな」とか「後ろの壁のシミが動物の形っぽいな」とか、思考が散らばりすぎてどれも口に出せないんです。そのバラバラになったものを拾い集めて書いていくと、散らばってしまった自分がつながるんです。

文章を書くのはフローチャートみたいなもの

──韻を踏むようにしようと心がけたりは?

成宮:していないです。「会話にできない自分の考えを順序立てた結果こうなりました」という感じで。たとえば「今日はどんな日だった?」と訊かれて「…えっと、楽しかった」としか言えなくても、書けば「これこれこうで楽しかったです」と楽しかった理由まで挙げることができる。だから文章を書くのは自分にとって点と点をつなぐフローチャートで、図解と同じ。喋るとそれがどうしてもできないので、「何も考えてないんだな」と勝手に思われちゃうけど、そうじゃないんです。

──黙って何も言わないからといって何も考えていないわけじゃないと。

成宮:はい。そこからわざわざ説明しなくちゃいけない時のもどかしさは大きいです。

──〈あなた〉がいなくなってから年を追うごとに時の流れを実感する「わたしが優しくなるためには」では、詩のバースごとに短歌を挿入している構成が面白いですね。

成宮:昔、ブログのタイトルが全部短歌になってるねって友達から言われて、そこから抜き出しました。読んでいて気持ちいい感じのタイトルを付けただけなので、偶然だったんですけど。

──その「わたしが優しくなるためには」の前に「ぼくたちが優しくなるためには」という対を成すような詩があるのも面白いなと思って。

成宮:「わたしが優しくなるためには」は「ぼくたちが優しくなるためには」に対するアンサーソングです。「ぼくたちが優しくなるためには」は、知り合いの人がツイッターで自分自身に「コラ、ご飯食べたか?」とか「歯は磨いたのか?」とツッコミしていて、あれは何なんですか? と訊いたら、「奥さんが亡くなって自分を叱る人がいなくなったから」と話していて。それでその人への当て書きとして書いたんです。〈今夜あなたの夢を見たら 次に来る春は木蓮が咲く〉って全部空想なので、実際は庭に木蓮はないと思います(笑)。

──現実世界で全く知らない、見ず知らずの一家のブログを10年以上読み続けている成宮さんらしいエピソードですね(笑)。

成宮:他人が何を考えているか興味があるんです。それなら、わたしから見た世界はどうだろう? と思って書いてみたのが「わたしが優しくなるためには」です。

──「この衝動はきみのもの」の〈死にたくなったら、次の予定を作ろうね〉という一文はすごく説得力がありますね。どうにかこうにか生き続けるために無理やり予定を作ることは何も悪くないと言われているようで。

成宮:太宰治に出てくる夏の反物と一緒です。

──ああ、〈これは夏に着る着物であろう。夏まで生きていようと思った〉(『葉』)ですね。

成宮:ライブに来てくれた人が「手帳に次の予定を書くと生き延ばせる」と言ってくれて。それなら先の予定を入れ続けたら、わたしたちは死なないで再会できるなと思ったんです。

──今回の詩集は、1ページ目から順に切り離せる装幀になっているそうですね。

成宮:読んだ詩の紙を持ち帰れるライブのやり方と同じことを書籍でもやりましょうと出版社の方が提案してくださったんです。〈世界は、水面だ。誰かが動けば、小さい波が広がっていく水面だ〉という自分の詩の通り、人から人へ、水面のように言葉が広がっていけば嬉しいです。だから、ページを切り離して本の体裁をなさなくなっても、それはそれでかまいません。

〈ハロー、言葉〉とやっと言えるようになった

──今回はスピッツの草野マサムネさんと作家のドリアン助川さんが帯に素敵な推薦コメントを寄稿していますが、これはどんな経緯で?

成宮:学生時代に、ドリアンさんの『正義のラジオ! ジャンベルジャン!』というリスナーの悩み相談をするラジオをずっと聴いていたんです。そんなこともあって、『あなたとわたしのドキュメンタリー』をお渡しさせてもらって。ドリアンさんはメンタルに病のある中高生の子たちと、本を読んだり詩を書いたりされていて、そこでわたしの詩をみんなで読んでくれたそうなんです。草野さんは、どういう経緯かはわからないんですけど『あなたとわたしのドキュメンタリー』を読んでくださって、ファンクラブの会報に「詩にロック魂を感じました」と紹介してくださったそうなんです。わたしのイベントに来てくれるスピッツ・ファンの子がその会報を見せてくれてびっくりして手が震えました。草野さんのような立派に見える方も、生きづらいことを書いた本を手に取ったりするんだと思ったら、やっぱり世界は地続きだなって改めて感じることができました。

──本のカバー・デザインに〈ノー! モア! エモーショナル!〉という「世界など変えられなくていい」の一文が正式なタイトル以外に盛り込まれているのはなぜですか。

成宮:以前、人種差別的なニュース動画をSNSで見てしまったんです。直前まで大好きなアイドルの動画を見ていたので、スマホのボリュームを最大に近くしていて、その音量でたまたまタイムラインに流れていたニュース動画が自動再生されちゃって。そんな時、ある人が「悪意のフックに引っかからないようにいようね」って言ってくれたんです。その言葉を聞いてから、一瞬の感情に押し流されながら、刹那的に自分の活動をすることはやめようと決めました。わたしが詩を朗読し続けても世界は変わらないけど、そこに決して落胆せず、100年後に変わるかもしれないことを淡々とやり続けなくちゃいけない。何か事件が起こって、「精神科通院歴あり」って報道されるたびの「またか」っていうムードにくじけそうになっても、続けていくしかないんです。だから、「これはいっときの感情でやっているんじゃないぞ」と意図的に思い続けていないと、心が折れちゃうから。その意味での〈ノー! モア! エモーショナル!〉。自分に対しての決意ですね。

──何事も表現の出発点はエモーショナルな感情に負う部分が大きいと思うのですが、成宮さんの詩は会話の代替として始めたことだからケースが違うんでしょうね。

成宮:自分の存在の表現ではなくて、誰もが生きやすい世界になって人と会話がしたいだけなんです。それで、最終的にはすべてが会話で事足りるようになるのが理想です。

──会話だからこそ〈わたしがあなたの偽名を呼ぶから 伝説にならないで〉と語りかけるような文体なんですね。

成宮:そうなんです。自分だけで完結してしまうと、またひとりぼっちの自分に戻ってしまうようで怖いんですよ。それが一番怖いです。

──その意味でもこの『伝説にならないで』は一般的な詩集とは違いますよね。成宮アイコというパーソナリティを全面に押し出すのではなく、声にして発せられる詩を受け手とシェアすることが第一義なわけで。

成宮:出版社の方がそこをすごく大切にしてくださって、タイトルも〈朗読詩集〉と命名してくれたんです。その想いを聞いて、感動して泣いちゃいました。

──『伝説にならないで』は目で追って読むのももちろんかまわないけれど、本来は成宮さんが朗読して初めて成立するということですね。

成宮:声に出すために書いたので、最終的にはそうかもしれないです。「はじめまして、Nameless」の中に書いたように〈戦いの証でなく生活の営み プラカードがわりの言葉を送ろう〉なので。

──刊行記念イベントのタイトルは、「Hello, Word! 楽しそうに死なないで」の中の一節〈ハロー、言葉〉が使われていますが、これは今の成宮さんに一番フィットする言葉なんですか。

成宮:これまで言葉に対する愛憎のバランスが憎に90パーセント傾いていたんですが、朗読を続けてきたことで人の立場や見た目に関係なく相通ずる部分があることに気づけたし、非力に感じていた言葉に対して意味のあるものだと感じられるようになってきたので、やっと〈ハロー、言葉〉と言えるようになりました。その変化の様を『伝説にならないで』では感じられると思います。でも、こうして会話として言葉にするのは相変わらず苦労しますし、本音を言えば、来世の〈会話だけで事足りている成宮アイコ〉に今世で少しでも近づけられたらいいなと思っています(笑)。

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