特別番組『響け、エール!古関裕而が奏でた栄冠の調べ』~古関金子夫人の故郷を訪ねて~ ラジオ福島では古関裕而氏の命日である8月18日(日)午後2時から放送

東京オリンピック・パラリンピック開催まで1年を切り、今、福島県を代表する作曲家・古関裕而氏に注目が集まっています。

遡ること今から55年前の1964年。東京オリンピック開会式で高らかに鳴り響いたのが、古関氏が作曲した選手の士気を高めるような壮大な行進曲『オリンピックマーチ』。生涯にわたり、実に5,000曲もの楽曲を世に出してきた古関氏を、影で支え続けてきたのが金子夫人です。彼ら(古関夫妻)の姿を描くNHK朝の連続テレビ小説『エール』がいよいよ、来春、放送開始となります。昭和を代表する作曲家とともに歩き続けた影の立役者・金子夫人が生まれ育ったのは、どのような場所だったのか。そのルーツを辿るべく、金子夫人の故郷・愛知県豊橋市を訪れました。

福島駅を出発し、4時間弱の道のりを経て辿り着いた豊橋駅。駅を出て、まず目に飛び込んでくるのが【路面電車】。

他の交通機関と変わりなく、日常の中に溶け込んでおり、路面電車に乗り市内を回ると、商店街の様子や、楽しくお喋りをする市民の姿、行き交う車の多さなど、【豊橋の表情】が見えてきます。

取材日当日は、偶然にもちょうど豊橋市市制施行記念式典も催されており、会場となった豊橋市公会堂へも立ち寄りました。式典では特別ゲストとして古関裕而氏のご子息・古関正裕氏も出席し、家族との思い出を語り、一般的に持たれている『古関氏のイメージ』と、家族に見せる、父としての顔など、大きな功績を残した大作曲家の日常のシーンに、会場からは時折、笑い声があがりました。

古関金子夫人。旧姓・内山金子氏のルーツを辿る時、残念ながら『ここ!』という場所は明らかになっていないらしい。ただ、『ゆかりの場所』として問われた時に紹介されるところが、豊橋市公会堂のすぐ隣にある『豊橋公園』。広い敷地の奥には、『吉田城』が佇み、上からは豊川を眺めることができました。

金子夫人にも馴染みがあったであろうこの場所は、今では多くの市民に親しまれた観光名所のひとつとなっています。他にも、金子夫人が当時住んでいたであろう場所、通っていた高校などへも立ち寄り、豊橋公園を基点として、これら全てが車でおよそ15分圏内にあり、町の人と人との距離感を思わせるほど『近く』に存在していました。

古関裕而氏の生誕110年であり、没後30年となる今年。

古関氏が残した数々の音楽による功績や、彼を支えた金子夫人の人となり、愛情の形、そして古関夫妻の姿をベースに、多くの名曲たちを特集する番組『響け、エール!古関裕而が奏でた栄冠の調べ』を、ラジオ福島では命日である8月18日(日)午後2時から放送します。古関夫妻の功績を紐解き、広く発信すべく活動を続けてこられた福島商工会議所、豊橋商工会議所関係者へのインタビューをはじめ、夫妻における福島・豊橋の繋がりを描きます。そして何より、古関氏作曲の名曲たちも多く紹介する1時間の特別番組です。

8月18日は、古関氏の残した素晴らしい功績に思いを馳せながら、たっぷりと『古関裕而ワールド』に浸って頂きたいと切に願うばかりです。

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