京都府北部の港町にもあった宮津空襲 有志が慰霊祭

©株式会社京都新聞社

慰霊祭で宮津空襲の犠牲者の冥福と平和を祈る体験者ら(宮津市万年)

 太平洋戦争終結間際にあった宮津空襲から74年となる30日、京都府宮津市万年の防空壕(ぼうくうごう)跡で体験者ら有志が慰霊祭を営み、犠牲者の冥福と平和を祈った。

 1945年7月30日、宮津湾に停泊中だった駆逐艦「初霜」などを米軍機が攻撃。宮津市史によると、市街地でも爆撃や機銃掃射があり、防空壕の一部が落盤して子どもらが生き埋めになるなど市民15人が犠牲になったという。

 4回目となる今年の慰霊祭は体験者3人を含む4人が出席した。当時、宮津工業学校3年だった中村浩朗さん(88)=同市蛭子=は学徒動員先の工場で40機ほどの米軍機が低空飛行で宮津湾へ向かうところを見たという。「いよいよ宮津に来たと怖かった。空襲後に通りに出ると、爆弾の破片などが落ちていてテロの後のようだった」と振り返る。「7月30日に空襲があったことは忘れられない。戦争は絶対にやってはいけない」と話した。