マンガ「健康で文化的な最低限度の生活」で描かれる子どもの貧困とは

先の参院選では「子供の貧困」も争点のひとつになりましたが、生活保護を扱い、リアリティで定評のあるマンガ『健康で文化的な最低限度の生活』でも、最新刊では子供の貧困がテーマとして扱われていました。

その内容は、シングルマザーが子供を家に放置し餓死させた過去の事件を想起させながら、そのような事件を阻止するために、私たちの社会は何ができるかを問いかけるものになっています。


障害者の政治参加に一石を投じた参院選

7月21日に行なわれた参院選は、自民・公明の与党で改選過半数を維持したものの、自民単独での過半数はならず、自民・公明・維新の改憲を容認する勢力が3分の2を超えることもない結果に終わりました。

そして今回の選挙で、もっとも注目された新勢力といえば、れいわ新選組です。公示期間中は、テレビ・新聞ではあまり取りあげられませんでしたが、消費税廃止・奨学金をチャラにするといった大胆な政策で、ツイッターで話題になり、街頭演説も大盛況となりました。

比例代表では、代表の山本太郎は自らを名簿3位にし、ALS(筋萎縮性側索硬化症)患者で会社副社長の船後靖彦氏と重度障害者で市民団体代表の木村英子氏を1位と2位に擁立。結果として、山本代表は落選し、船後氏と木村氏を当選させました。

国会の場に、重度障害者が国会議員として入ることは、障害者福祉の観点からも極めて意味が大きいです。戦前の貴族院の流れを組む古い作りである参議院のバリアフリー化が期待されると共に、国会議員たちの心のバリアフリーも求められます。

そのれいわ新選組の山本太郎代表は、NHKでの政見放送で、「子供の貧困、7人に1人」というキーワードも掲げていました。

最近よく耳にするこの「7人に1人」という数値は、平成28年度の厚生労働省国民基礎調査における、日本の子供の相対的貧困率13.9%という数値に由来します。相対的貧困とは、世帯の所得が、その国の等価可処分所得の中央値の半分に満たない状態のことで、その国の文化水準、生活水準と比較して困窮している状態のことを指します。

たまに「戦後の子供たちはもっと貧しかった」という類のことを言う人がいますが、最低限の衣食住はたとえ満たせていても、制服や学用品を購入したり、成績を維持するための勉強の環境を整えたり、友達づきあいをするだけのお小遣いがないような状態では、日本という国における社会への通常参加が難しくなってきます。

虐待の「悪者探し」は解決を導くのか?

現代の日本における貧困の問題に果敢に取り組んでいるマンガに、生活保護のケースワーカーと生活保護受給者たちを描いた『健康で文化的な最低限度の生活』(柏木ハルコ・小学館)があります。

昨年(2018年)の夏に放送された吉岡里帆主演のドラマ版は、視聴者の見やすさを考慮したのか、妙に軽いノリのアレンジが加えられていて、原作本来のリアリティが損なわれていましたが、原作の方は徹底した取材でさまざまな社会問題に切り込んでいます。

6月に発売された第8巻では、7巻から続いていた「子供の貧困」編が完結しました。このエピソードでは、本作の主人公だった義経えみるではなく、その同僚で生真面目な性格の栗橋千奈(ドラマでは元AKB48の川栄李奈が演じていました)が、2人の子供を持ち、さらに妊娠中のシングルマザー・佐野美琴を担当するケースが描かれました。

マンガではこの母親が風俗で働き、部屋は乱雑さと不潔さを極め、子供の基本的な生活を維持させる心の余裕もないようすが描かれています。

マンガ『健康で文化的な最低限度の生活』では、ケースワーカーの栗橋がシングルマザーの美琴の支援に乗り出しますが、四角四面な行政用語を次々と繰り出す栗橋に、当初美琴は拒絶的な態度を示します。けれど、当初は衝突しながらも美琴の生活を立て直そうと奔走する栗橋に、美琴はやがて心を開き、生活の展望も見え始めます。

これは、三代続く生活保護家庭のもとで生きる美琴がどうやって貧困の連鎖から抜け出そうとするかというエピソードであると同時に、福祉職員の栗橋が自身の中にも存在する心の壁を乗り越えていく物語でもあります。

エピソードの中で、シングルマザーの美琴が、退去することになった部屋を前にして、「ウチはこの部屋で死ぬと思ってた。虐待のニュースとかみるたびに、次はウチの番かもと思って、この部屋に戻るのがこわくて、友達の家に泊めてもらったりしていた」と話すシーンがあります。

その様子は、最近発売された山田詠美の小説『つみびと』(中央公論新社)のモデルになった、2010年の大阪二児置き去り死事件などを彷彿とさせます。マンガ内で登場する栗橋の自室の本棚には、同事件のルポルタージュ『ルポ虐待』(杉山春・ちくま新書)があるのが描かれています。

この事件では、母親や行政、母親の養育環境、別れた夫の家族など、誰が悪かったのかという「悪者探し」が盛んにマスコミで行なわれましたが、マンガのエピソードでも、栗橋は、支援がようやく軌道に乗り始めたときに、自分もこれまで「悪者探し」をしていたのではないかと反省します。

一連のエピソードは、どうすれば大阪二児置き去り事件のような事件を防げたのかという作者の問いかけであると同時に、「悪者探し」だけでは何も解決しないことを示唆しています。行政のケースワーなど、さまざまな職種が連携して生活困難者を支える制度の重要性を、この物語は表現しています。

福祉職の燃えつき=バーンアウトも問題

もっとも、筆者は本作がドラマ化されたときに、実際に生活保護を受けている人からドラマの印象を聞いたのですが、現実のケースワーカーはもっと淡々と仕事をしており、これほどひとつひとつのケースに入れ込むのは見たことがないと言います。

ひとりのケースワーカーが、80世帯とか、100世帯以上を担当していることも珍しくないと言われますから、これほど一件一件に熱くなっていては、とても身が持たないでしょう。

福祉の世界では、理想に燃える職員ほどバーンアウト、燃えつきる場合が多いことがよく知られていますが、本作での義経えみるにしても、担当世帯の高校生のために、学習指導のボランティアまで買ってでて、始業前に数学の予習をしようとまで考えるのは、いくらなんでも背負い込み過ぎです。このように、ひとりひとりの支援職が過重な負担を負いすぎないためにも、社会全体の重層的な支援体制が必要とされているのです。

さて、現在は、小学生にとって楽しいはずの夏休みの真っ最中ですが、シングルマザーの貧困家庭においては、学校という子供の行き場も給食もなくなる夏休みには、ひときわ困難が顕在化することがかねてより指摘されています。苦しい状況におかれた人たちを、社会全体がどう支えていけるのか、私たちひとりひとりの意識が問われているのです。

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