横浜M・主将喜田「伝統と歴史受け継ぐ」 松田さん急逝から8年

横浜F・マリノス時代の松田さん

 サッカーの元日本代表でJ1横浜F・マリノスの象徴的な存在だったDF松田直樹さんが34歳の若さで亡くなってから8年がたった。当時を知るチームメートは少なくなったが、育成組織出身の若手・中堅選手には憧れの存在として今も刻まれている。松田さんの命日の4日に現主将の喜田拓也(24)が横浜市内で取材に応じ、「先輩たちが覚悟を持って、人生を懸けてつないできた歴史や伝統の上に今のマリノスがある。今いる仲間と一緒にクラブの価値を上げていくことで、いろんな人に喜んでもらいたい」と心境を語った。

 松田さんが急性心筋梗塞で倒れたのは2011年。当時、横浜Mユースに所属していた喜田は「衝撃的だったし、実感が湧かないというか、本当なのかなとさえ思う出来事だった」と振り返る。

 小学生の頃からトリコロール一筋の喜田にとって、松田さんは当時の練習場のマリノスタウンで触れ合える身近なスター選手だった。会えばあいさつを交わし、一緒にボールを蹴ったこともあったという。

 「やっぱり存在感がありましたね。醸し出すオーラもそうだし、本当にサッカーが好きで、マリノスが好きなんだろうなというのが感じ取れた。それはあの人が培ってきたもので自然と発しているんだろうなとも思った」

 3日のリーグ第21節・清水エスパルス戦では、本拠地の日産スタジアムに「ミスターマリノス」の横断幕も掲出された。横浜Mの現役選手で松田さんと同時期にプレーしたのは元日本代表DF栗原勇蔵(35)だけになったが、かつて松田さんも巻いた名門のキャプテンマークを引き継ぐ喜田はその重みを感じ取っている。

 「それだけサポーターに認められ、愛されてきた人。(在籍期間が)かぶっていないから、ではなく、マリノスにとって大きな存在だったと自分たちも知るべきだし、クラブに対しての忠誠心やチームに対する思いを表現することで先輩たちの魂を受け継いでいきたい」

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