思わぬ再会

 夜の新聞製作現場を親子で見学してもらう本社の「ミッドナイト見学会」。不慣れで不出来な説明役を終え、ふうと息をついていると参加者の女性から「覚えてますか?」と声を掛けられた。ドタバタと失敗続きだった米国取材を懐かしく思い出した▲10人ほどの一行だった。一人だけ特別に人相が悪かったのか「スーツケースを開けろ」と入国審査で足止めを食い、乗り継ぎの飛行機に危うく乗り遅れそうになった。滞在中にはホテルの風呂を壊し、真夜中に部屋を取り換えてもらった▲もっとも失敗を重ねていたのは同行した記者だけで、慌ただしい日程の中“彼女”たちは確かな成果を重ねていた。訪問した学校で交流した同世代の少年は、被爆直後の長崎の惨状に触れ「原子爆弾の被害のことを僕は何も知らなかった」と静かに話した▲最終日の朝、彼女たちは小さな花束を抱えていた。ホテルの従業員が訪問の趣旨を知ってプレゼントしてくれたのだ、とうれしそうに教えてくれた▲見学会で声を掛けてくれたのは初代の「高校生平和大使」として1998年に国連本部を訪れた二人のうちの一人。小学生の母親になっていた▲思いがけない再会を喜びながら、活動が息長く続いていることをしみじみと実感した。関係者の努力と熱意に改めて頭が下がる。(智)

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