十字架返還 米側来崎へ 被爆直後の写真と特徴一致 人形贈り児童らと交流も

©株式会社長崎新聞社

ウィルミントン大平和資料センターに展示されていた十字架=米オハイオ州(宮崎広和氏提供)

 長崎原爆で倒壊した旧浦上天主堂(長崎市本尾町)のがれきから見つかったとされる被爆十字架を保管していた米施設の関係者らが8月、長崎市のカトリック浦上教会を訪れ、十字架を返還する。被爆直後に撮影された写真に写っている十字架と酷似しており、同一の物である可能性が高い。米側一行は7日に同教会で返還式に臨むほか、戦前の日米親善人形交流にちなみ長崎市や平戸市で児童らと触れ合う。
 保管していたのは米オハイオ州ウィルミントン大平和資料センター。被爆十字架は木製で高さ1メートルほど。全体が金色で縁取られ、中心に花柄の紋章がある。終戦後の1945年10月から約3カ月間、長崎に駐留した米軍人ウォルター・フック氏(2010年、97歳で死去)が発見。当時のカトリック長崎司教、山口愛次郎氏(1976年、82歳で死去)から譲り受けたとされる。
 十字架が写っている写真は、長崎平和推進協会写真資料調査部会が所蔵。撮影者は不明だが、倒壊した天主堂前のれんがのがれきの上に、台座付きの十字架が横たえられている。大きさや縁取り、紋章の付いた形状などが一致している。
 ウィルミントン大はキリスト教の一派クエーカーが母体。十字架は1982年にフック氏が同センター(75年開設)に寄贈した。同センターが5月、米在住の宮崎広和ノースウエスタン大教授を通じ、高見三明カトリック長崎大司教に書簡を送り、返還を申し入れた。
 同センターのターニャ・マウス所長は書簡で「2015年の着任以来、十字架に強く心をつかまれた。過去数年に何人かの長崎からの訪問者を迎え、十字架を見たときの反応を見て、天主堂へ戻す必要があると明確に感じるようになった」としている。
 来日するのはマウス所長とナンシー・マコーミック牧師、ウィルミントン大の学生1人。同大から日本に留学中の学生2人と宮崎氏が同行する。
 宮崎氏は日米親善人形交流を調査研究している文化人類学者。同交流は1927年、悪化した日米両国関係の修復を目指し、米側が約1万2千体の「青い目の人形」を日本に贈り、日本側が長崎の「長崎瓊子」などの答礼人形を贈った。現在、平戸市立平戸幼稚園にある当時の青い目の人形「エレン・C」は、ウィルミントンのクエーカー教徒が贈ったことが分かっている。
 マウス所長らはクエーカー教徒らと一緒に手作りした布製「抱き人形」計100体を運んでくる。7日から9日にかけ、爆心地に近い長崎市立山里小、城山小や同幼稚園を訪れ、寄贈する。この交流を主催する長崎親善人形の会(瓊子の会)の山下昭子会長は「戦前の人形交流が令和の今の人間交流につながっている。次の世代にこれを伝えていきたい」と話している。

倒壊した旧浦上天主堂の前に、台座が付いた状態で横たえられた十字架の写真(長崎平和推進協会写真資料調査部会提供)