ノー!モア!エモーショナル!

同僚の成宮アイコが、新作朗読詩集『伝説にならないで ハロー言葉、あなたがひとりで打ち込んだ文字はわたしたちの目に見えている』を上梓しました。

彼女は自身の表現欲求として詩の朗読を選んだわけではなく、あくまで他者とのコミュニケートの手段、日常会話の代替として詩の朗読活動を続けているというユニークな存在です。

日常会話なので難しい言葉や言い回しは一切使われず、信条も思考も嗜好もまるで違う我々の個々を尊重しつつ、それでも我々は地続きで分かり合えるところもある、disって断絶するのは容易いことだけれどそれだけは絶対にイヤだと、慎ましい立場ながらにひっそりと、でもしっかりと声高に主張しています。

最新号のルーフトップでは、喜多野大地というぼくの親友(天の声の親友の山ちゃん的な)が成宮アイコにインタビューしているそうなので、彼女の詩人としてのバックボーンを知ってもらえたら嬉しいです。

そしてぜひ書店で『伝説にならないで』を手に取ってみてください。

担当編集の方がいかにこだわってこの本を編集したのかは、紙の選び方は元より、読者が気に入った詩を1ページずつ手で切り離せるという特殊な装幀を見ても、同じ編集者の端くれとしてよく分かります。

何より、ここ数年の詩人としてのモードの変化が分かるように年代別に詩を並べましょうと担当編集の方から提案されたという話を聞いて、著者の特性と読者へ伝えたいことが著者と編集者でしっかりと共有されていることに感心しました(偉そうですが)。

つまりはイーブンなのです。

どちらか一方が優位に立つのではなく、互いが互いを尊重しながら自己の主張をしっかりとしていく。

この本の成り立ち自体が、優劣を分け隔てなく考える成宮アイコそのものに思えてなりません。

この本の中に、死ぬことを避けるために次のスケジュールを入れてどうにかこうにか生き延びる(大意)という詩が出てきます。

ぼくはその詩に大いに感情移入しました。

なぜならここ数年の今の自分がまさにそんな心境だからです。

そのことをぼくの親友がインタビューで訊いたところ、それは太宰治の『葉』に出てくる夏の着物のようなものです、と彼女は答えたそうです。

ぼくのなかで太宰と成宮がつながりました。

だけど成宮はたぶん太宰のように自害しません。

かつてはそんな可能性もあったかもしれませんが、この『伝説にならないで』は成宮が成宮であるための本気の決意表明であるからです。

そもそも成宮は、ぼくがちょっとおかしくなりかけた時(前任が辞めて何から何まで仕事をこなさなければならなくなった頃)に会社が仕向けたエキスパートなのでした。

今も日常的にいろいろと助けられていますが、仕事上のそれより、こうした彼女なりの表現に元気をもらうことのほうが多いです。

それは彼女の発する言葉がどれも安っぽい借り物ではなく、自身の身の来し方から生まれた、この言葉でしかないんだという強い信念をこちらが勝手に行間から感じるからなのだと思います。

借り物ではない自分なりの言葉。

編集者でありながら時に売文をこなす身としては、まだ到底その域には達せていません。

達しようと思わず、自分は編集者だからと常に逃げ道を考えているからダメなのでしょう。要するに覚悟ができていないのです。

成宮の発する言葉は覚悟しかありません。

ひとまずは『伝説にならないで』を傍らに置きながら、自分なりに精進しようと思います。

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