DJ ケイシー・ケイサム「アメリカン・トップ 40」をエアチェックせよ! 1988年 8月6日 初代 DJ ケイシー・ケイサムが「American Top 40」を降板した日

僕が中高生の頃、FM 局と並んで、いやそれ以上に重要な音楽メディアだったのが FEN(現:AFN)だ。

帰国子女でもない普通の中学生だった僕の英語力では、ウルフマン・ジャックやチャーリー・ツナが何を話しているのかまったく分からなかったけれど、日本の FM では耳にしないような曲が次々とかかるのでよく流していた。

そうした中でも、毎週土曜日の午後1時から5時までの4時間にわたってオンエアしていた 『American Top 40』は、僕のエイティーズ音楽においてバイブルであり教科書な存在だった。もちろん、いくら DJ のケイシー・ケイサムが話す英語が明瞭だったとはいえ、当時の僕ではとても聞き取れるものではなく内容はわからなかった。しかし、番組内で紹介される楽曲とアーティスト名については知る武器を見つけたのだ。FM雑誌 である。

共同通信社が発行していた『FM fan』には「Billboard Hot 100」、ダイヤモンド社発行の『FM STATION』(81年創刊)には「Cash Box TOP 100」それぞれのチャートが掲載されていた。当時はチャートインしている上位の楽曲でもすべてが国内盤としてリリースされているわけではなかったので、きちんと原題と邦題が分かれていた。

―― で、どうするかというと、オンエアの際に最新号の FM雑誌 のチャート欄を並べて、ラジオから流れてくるケイシーの DJ にひたすら集中するのだ。イントロが流れて楽曲とアーティスト名みたいな単語を聴いたら、すぐにチャートの中からそれらしき曲を探し出す。最初の頃はオンエア中にリアルタイムでやったが、とても追いつけないのですぐに録音するようになった。60分のカセットテープにして4本(120分テープは巻き込むので使わないのが当時の常識だったしね)。

30分ごとに面を裏返したりテープを替えたりして夕方まで録音。夕飯を食べた後に、そのテープを何度も聴き返しながらチャートとの照合作業に、毎週深夜まで没頭していた。今から思うと浪費としか思えないような過ごし方だが、新たに知る音楽とチャート作り、それはまるで宝探しをしながら地図を作っていくようなワクワク感である。友達がまだ誰も知らない最新のヒット曲との出会いは楽しかった。

そのうち、ラジオ関東(現・ラジオ日本)の土曜深夜、12時から湯川れい子さんやスヌーピーこと今泉圭姫子さん、矢口清治さんが出演しての日本語版を放送しているのを知った。それでも僕は、この「宝探し」をやめることなく、さらに「復習」の意味でこの日本語版も聴くもんだから、いよいよ土曜日は『全米 TOP40』漬けになってしまった。

ただ、青春の貴重な土曜日を毎週浪費して何も残らなかったかというとそうでもない。この番組との出会いがなければ、今でも続くエイティーズへの情熱と知識はなかっただろう。

そして、もう一つ。

当時、僕は英文法や英作文はイマイチだったが、リスニングだけはテストの点がとれた。これはケイシー先生のおかげだ。

最初の頃は「エイティーフォーティーアーカイ」というフレーズが出ては「80 40 赤いって?」などと唸っていたのだが、そのうち「AT40 アーカイブ」つまりは『American Top 40』の略だと分かって感動したりして。

もし TOEIC 受験などでリスニングにお悩みでしたら、YouTube にたくさんアップされている「AT40 アーカイブ」を使って学習してみてはいかがでしょう。

スコアが赤マル急上昇するかも!?

※2018年10月25日に掲載された記事をアップデート

カタリベ: 阿野仁マスヲ

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