被爆の記憶、外国人に伝え 横浜出身の英語ガイド横山さん

外国人客に原爆の惨状を解説する横山さん=広島市中区

 生まれ育った横浜を離れ、広島平和記念資料館(広島市中区、原爆資料館)でピースボランティアとして活動する男性がいる。横浜市緑区出身の横山幸夫さん(69)。就職を機に移り住んだ広島で、戦後もなお消えない市民の苦しみを知った。自らは持たない被爆体験。ギャップを埋めながら、得意の英語で外国人に平和の尊さを伝えている。

 8月6日を前に、外国人客の姿も目立つ広島市内。今年4月にリニューアルした同資料館や平和記念公園を無料で案内するのがピースボランティアだ。被爆の実相を伝える遺品の数々やガラス片が刺さった跡が残る壁。惨状に顔を覆い、あるいは恐れおののき、「もう見ていられない」ときびすを返す欧米人もいるという。

 横浜第一商業高校(現横浜商大高)を経て神奈川大に進んだ。教師を志したが、地元での教員採用には縁がなかった。教壇に立つ夢をかなえるため、選んだのは、大学の同級生で、後に妻になる幸子さん(70)の郷里、広島だった。

 「元々は原爆被害について知識はあったが深くは分かっていなかった」。だが、市立中学校の英語教諭として平和学習に携わった。妻との結婚に際し、被爆者の子どもたちも将来にわたり放射能被害への不安を抱えていることも知った。

 二度と繰り返してはいけない過ち、そして戦後長く続く市民の苦しみ、悲しみ。身近に触れ、突き動かされた。定年を控えた50代後半で同資料館が募集するピースボランティアの8期生に応募。学びを深めながら、語学力を生かして平和への思いを訪日客に向けて発信していくことを志した。

 広島市民の多くは、戦後生まれでも、肉親の体験談や学校教育を通じて刻まれた惨禍の記憶を持つ。だが、横浜で生まれ育った自身にはない。

 「ガイドをしている上で、知らないとは言えない。当初はガイドに行くのを苦痛に思った」。知識を身に付けるため、時間をみつけては教本を読み込み、体験者の肉声に耳を傾けて思いに寄り添った。

 今でも不足があると自認する。それでも、自らに課された役割をかみ締める。市が主催する被爆体験伝承者の養成事業にも応募し、現在、被爆1世が見た実相を後世につなぐため、研鑽(けんさん)を重ねる。

 「私にとっては生きがい。資料館に足を運んでくれるだけでもいい。ガイドを通して平和について考えるきっかけになればいい」

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