サッカー界のトレード移籍、「最高にうまくいった」8つ

野球などアメリカンスポーツでは「トレード移籍」という形で選手が交換されることがよくある。

しかし一方サッカーではそれほどトレードだけで取引が行われることは多くはなく、金銭のみで交渉されるのがほとんどである。

だが、サッカー界でももちろん成功を収めたトレード移籍も数少ないが存在している。『Planet Football』のセレクションから見ていこう。

ズラタン・イブラヒモヴィッチとサミュエル・エトー(インテルとバルセロナ)

2009年、世界でもトップクラスのストライカーがトレードされるという驚きの動きがあった。バルセロナはチャンピオンズリーグをエトーのゴールで制覇したばかりだったが、イブラヒモヴィッチを加えるためにエトーと3500万ポンド(およそ50.9億円)を提供した。

ただ、グアルディオラのこの選択は大失敗だった。イブラヒモヴィッチとの間には大きな亀裂が走り、1年後にミランへと去っていった。一方エトーはインテルでチャンピオンズリーグ優勝を経験し、大成功を収めている。

クラレンス・セードルフとフランチェスコ・ココ(ミランとインテル)

インテルはエトーのトレードで大成功を収めたが、その7年前に歴史的な大失敗をしている。それがフランチェスコ・ココの獲得だ。

オランダのスター選手セードルフを譲り、次世代のマルディーニと呼ばれたココを獲得した。しかし彼は怪我のためにほとんど稼働できず、30歳で現役を引退することになった。

一方セードルフの活躍は誰もが知っているもので、ミランは彼の貢献もあって数多くのタイトルを手にすることに。

アシュリー・コールとウィリアム・ギャラス(アーセナルとチェルシー)

2006年、ギャラスとコールは互いのクラブと立場を巡って衝突していた。そしてアーセナルとチェルシーはトラブルメーカーになった二人を交換することに決めた。

この取引で大きな成功を収めたのがチェルシーだった。アシュリー・コールは長く世界トップクラスのレフトバックとして活躍を見せる。一方ギャラスはDFながら背番号10を付けたことくらいでしか存在感を発揮できず。

ジャーメイン・デフォーとボビー・ザモラ(トッテナムとウェストハム)

両者ともに「大きな得をした」貴重な取引だ。ウェストハムは2003年に2部へ降格し、有望なFWデフォーを手放すことにした。そして2004年2月にザモラ+700万ポンド(およそ10.2億円)でトッテナムに放出した。

ザモラはウェストハムでエースとなり、プレミアリーグ昇格に大きく貢献。デフォーもトッテナムで絶対的な存在となり、ホワイト・ハート・レーンでレジェンドの一人に。

ネマニャ・マティッチとダヴィド・ルイス(チェルシーとベンフィカ)

チェルシーにとって非常に大きな成功を収めた取引だった。2011年にダヴィド・ルイスを獲得した際、ネマニャ・マティッチを取引の一部としてベンフィカへと譲渡した。

ポルトガルで成長したマティッチは2014年にチェルシーへと復帰し、イングランド・プレミアリーグで輝かしいプレーを見せることに。

リカルド・クアレズマとデコ(バルセロナとポルト)

ポルトでチャンピオンリーグを制覇し、ヨーロッパで最も人気ある選手の一人になっていたデコ。チェルシーへと行った恩師ジョゼ・モウリーニョがイングランドへ誘っていた。

しかしバルセロナはクアレズマ+1300万ポンド(およそ18.9億円)でデコを誘い、契約をまとめた。デコはもちろん希望していたスペインの王者で多くのタイトルを獲得し、苦戦していたクアレズマもポルトで生き返った。

ファビオ・カンナヴァーロとファビアン・カリーニ(インテルとユヴェントス)

インテルはココでの失敗の2年後にも大失敗をしている。なんとユヴェントスのバックアップGKだったカリーニを取るために、ファビオ・カンナヴァーロを放出したのだ。

カンナヴァーロはユヴェントスで強力な最終ラインを形成し、イタリア代表でもワールドカップを制覇。バロンドール獲得に成功している。一方カリーニはインテルで3年プレーし、4試合のみの出場となった。

ディエゴ・ミリート&チアゴ・モッタと4人(ジェノアとインテル)

2009年、ジョゼ・モウリーニョのインテルはジェノアから二人のスター選手を獲得。ミリートとチアゴ・モッタはチームの中心的な選手となり、成功をもたらした。

その見返りにジェノアに行った選手はフランチェスコ・ボルツォーニ、リッカルド・メッジョリーニ、ロベルト・アックアフレスカ、そしてその1年後に1550万ユーロ(およそ18.4億円)でユヴェントスに売れる若きレオナルド・ボヌッチだった。

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