被爆十字架 浦上に返還 旧天主堂の装飾の一部

マウス所長(右)から被爆十字架を受け取る高見大司教(中央)と藤田さん=長崎市、カトリック浦上教会司祭館

 74年前、長崎原爆で倒壊した旧浦上天主堂にあったとされる被爆十字架が7日、米オハイオ州ウィルミントン大平和資料センターから、カトリック浦上教会(長崎市本尾町)に返還された。同教会で返還式があり、同センターのターニャ・マウス所長が、高見三明カトリック長崎大司教と信徒代表の藤田千歳さん(72)=長崎市高尾町=に手渡した。
 会見で高見大司教は、この十字架が原爆投下前の一時期、祭壇背後の大きな装飾の一部として、被爆マリア像(無原罪の聖母像)と一緒に飾られていたと明らかにした。
 高見大司教は「被爆マリア像と同じように(十字架は)天主堂のがれきの中から発見された。原爆の悲劇が二度と起こってはならないと強く訴えかけている」と述べた。マウス所長は「十字架は(米国や日本など)私たちの政府に、核兵器を含むあらゆる大量殺りく兵器の使用中止を要請するよう促している」と語った。
 被爆十字架は高さ93センチ、横30.3センチの木製。終戦後の1945年10月に長崎に進駐した米軍人ウォルター・フック氏(2010年、97歳で死去)が見つけ、親交のあった当時の山口愛次郎カトリック長崎司教から譲り受けたとされる。フック氏が1982年、同センター(75年開設)に寄贈。米在住の宮崎広和ノースウエスタン大教授を通じてマウス所長が5月、高見大司教に返還を申し出た。
 返還が決まった後、同教会は被爆前の文献や写真を調査。34~38年の間、祭壇背後の装飾最上部中央に立っていた十字架と特徴などが一致したという。十字架はその後取り外され、原爆投下時は天主堂内の別の場所に保管されていたとみられる。
 7日はマウス所長、宮崎教授ら一行が同教会を訪問。返還式では「米国で役割を果たしてきた十字架が再び教会堂に安置され、父はとても喜ぶだろう」としたフック氏の遺族のメッセージも読み上げられた。
 被爆十字架は、9日午後6時から同教会で開かれる平和祈願ミサで、被爆マリア像と一緒に祭壇に奉納。その後、同教会で公開される。

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