第十六回 「終戦直後の将兵たちや民間人の悲しき末路」

はいよ〜、今年は梅雨が長かったですね。8月ということでさすがに夏本番となってるでしょうか。

令和になっても8月はやはり太平洋戦争のことを振り返る機会になりますね。原爆投下やソ連の対日参戦、日本各地への空襲、からの終戦と激動です。今回はその「終戦」前後のお話を。

8月15日の正午に天皇陛下の玉音放送が流れて日本は連合国と停戦状態になるのですが、その無条件降伏を受け入れるという旨は連合国に8月10日に通達してあります。

が、8月14日から15日未明にも日本各地10カ所で空襲がありました。14日昼前後の山口県光市、岩国市の空襲で約1,250人、大阪市で約500人以上が亡くなっています。そして15日に跨ぐ頃の夜間空襲で埼玉県熊谷市で266人、群馬県伊勢崎市で40人、秋田市で250人以上の方が亡くなっています。この2日間で約2,300人もの一般市民が亡くなったのです。

アメリカ軍としては日本が降伏受託条件を巡って揺れていると判断したため、空襲を再開したようです。とは言えあと数時間なのに…。

終戦の玉音放送後も軍関係者の自決が相次ぎます。

陸軍大臣の阿南惟幾(これちか)は徹底抗戦を主張しながらも辞任して内閣を総辞職に追い込むことはせず、8月15日午前5時に割腹。この際、介錯は断り、2時間激痛にもがきながら絶命。「一死ヲ以テ大罪ヲ謝シ奉ル」の遺書の前で割腹したため、その血塗りの遺書の複写が靖國神社に展示されてます。

徹底抗戦を主張して天皇陛下の玉音レコードを奪おうとクーデターを起こしてた青年将校2人も皇居前広場で割腹、拳銃で頭を撃って自決します。海軍の神風特攻の発案者、大西瀧治郎も割腹。527人の将兵が終戦で自決してます。

異例の自決としては、海軍の宇垣纏(まとめ)中将の例があります。

鹿児島県鹿屋の航空隊基地から特攻作戦の指揮を執っていた宇垣中将は、特攻に行く部下たちに「お前らだけ死なせん、わしも後で行く!」と言っていました。数多くの兵士たちが特攻で散華していきました。

ほんで終戦。宇垣は基地に残ってる彗星という2人乗りの爆撃機で自分も特攻する、と言い出します。しかし宇垣は飛行機の操縦はできないため、中津留大尉に操縦を頼みます。結果的に11機が宇垣と共に終戦後16時に出撃します。2人乗りなので22人のはずですが、中津留大尉とペアを組んでた遠藤飛曹長が宇垣との交代を拒否、中津留、遠藤、宇垣の3人乗りで行ったので計23人で出撃、途中3機が不時着、5人が生還したので18人が戦死しました。アメリカ軍に被害はなかったようです。

この自決特攻が、部下を道連れにした自決だとその後非難されます。軍の中でも自決は一人でできるし、ましてや責任者が戦後処理をせずに死ぬのもどうか、という声もあり、宇垣の特攻は戦後賛否両論となります。中津留大尉の父親も「なんで宇垣中将一人で自決してくれなかったのか…」と長年苦しんだが、晩年は宇垣の気持ちも理解したとのことです。

高官クラス以外の自決も何件もあり、岡山県倉敷市出身の神社澄(かんじゃきよし)さん、当時22歳。彼は大戦末期に特攻隊の教官として鹿児島の鹿屋基地、石川の小松基地で飛行機の操縦を教えていたみたいです。自分が教えた兵士たちが特攻でどんどん亡くなり、小松基地で終戦を迎えました。

そして8月24日、飛行機で岡山まで帰ってきて、同乗の友人を降ろしてまた飛び立ちます。自分の生まれ育った町の上空まで飛んでいき、学んだ小学校の上を何回も旋回し、自分の生家を低空で旋回したり、宙返りしたりのパフォーマンスをします。下にいた家族や近所の人も「きよしだ!きよしが帰ってきたー!」と大喜びして手を振ります。

が、しばらくしてスーっと飛び去ります。そして家の墓や田んぼが広がるところで急上昇からの急降下。田んぼに突っ込んで自爆します。飛行機は田んぼ深くに突き刺さり、後部尾翼が少し見えるくらいだったといい、お母さんが「きよし、きよし…」と尾翼をさすりながら泣き崩れたそうです。

この若い教官も教え子がみんな亡くなった中、自分だけ生き延びるということはできなかったのでしょう。

自決ではないのですが、8月16日に高知県では悲惨な事故がありました。震洋という一人乗りの特攻専用のボートの部隊が高知にあったのですが、終戦してるのに「高知沖に敵艦見ゆ」の報を受け取った部隊の隊長が独断で出撃準備の命令を出します。若い兵隊たちは上官の命令に従うしかありません。そして準備の最中に弾薬が爆発するという事故が起こり次々と誘爆、111人もの方が亡くなってしまいました。

こうした終戦後にも大陸ではソ連軍が侵攻してきて、満州から引き揚げる最中に民間人へ虐殺、強姦、そして集落単位での集団自決も記録しきれない規模で発生、数万人の方が命を落とし、残留孤児や軍人たちはシベリア抑留と多大な問題を引き起こしました。

8月は戦争が終わったということで、当時のことを、戦争のことを考える、調べてみるというきっかけになるといいですね。たった74年前のことですから。

挿絵:西のぼる 協力:新潮社

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