被爆74年

 74年前のきょう、戦時下の浦上上空で米国のプルトニウム型原爆がさく裂した。無差別大量虐殺によるあらゆる形の死。生き残った者は苦痛と死に追い掛けられ、寄る辺はない。長崎などで被爆者調査を進めた社会学者の故石田忠さんは原爆がもたらしたものを〈むごい死〉と〈むごい生〉と表現した▲今年の平和祈念式典の被爆者代表は山脇佳朗さん。爆死した父の遺体を置き去りにした後悔などから体験について口を閉ざしてきた。約半世紀がたって語り部になり、外国人に被爆の実相を直接伝えようと英語を学んだ▲むごい死と生を経て世界に働き掛ける姿勢へ。それは既に亡くなった多くの被爆者の生きざまとも重なる。原爆死没者の声として山脇さんの「平和への誓い」に耳を傾けたい▲被爆者の平均年齢は82歳を超え、いなくなる時が迫りつつある。彼らが望んだ世界に少しは近づくことができただろうか▲見回せば核を巡る世界情勢は悪化している。米国は小型核弾頭の製造を始め、被爆国日本は核兵器禁止条約に不賛同。社会は同調圧力の傾向が強まり、異論を許さない戦前回帰の状況も指摘されている▲午前11時2分、あの日をイメージしながら鎮魂の思いを込めて死没者にこう問い掛けてみる。「今を生きる私たちに言いたいことがありますか」(貴)

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