ストリート・オブ・ファイヤー「俺のロック」を教えてくれた青春の寓話 1984年 8月11日 映画「ストリート・オブ・ファイヤー」が日本で劇場公開された日

10数年前に某夏フェスで、好きではない出演者のステージを妨害すべく火災報知器を鳴らした男が逮捕されるという事件があった。男いわく「俺のロックと違う」。

アホだー、と思う一方、その気持ちもわからんではなかった。

サザンオールスターズやマドンナを俺のロックと思う人もいれば、そうでない人もいる。100人のロックファンがいれば、100通りのロックがある。今となっては当たり前のことだが、若い時は周囲が見えず、「俺のロック」にこだわってみたりする。

昨年(2018年)デジタルリマスターでのリバイバル上映が好評を博した、1984年公開の『ストリート・オブ・ファイヤー』。昔の恋人であるロック歌手がギャングに誘拐されたことを知り、救出に向かう流れ者の戦いの物語。大好きな映画で、これまで VHS や DVD で何度観直したかわからない。サントラ盤もヒットしたので記憶に残っている人も少なくないと思う。

しかし、思い返せば、初めて観たときは、さほど好きではなかったのだ。なぜなら、当時の「俺のロックと違った」から。

日本公開されたのは1984年で、当時は田舎の高校生。地元の映画館では上映されなかったが、映画誌では賞賛する評も多く、いつか観たいと思いながらサントラを聴き続けた。そして2年後、上京して飯田橋の名画座で、ついに観たのだが…。

正直に第一印象を語ると、「ダッセー」。こういう映画は何度も観てきたし、今さら西部劇かよ、と。キメ過ぎるセリフもなんだかなあ、だ。何より、冒頭の “ロックンロールの寓話” というテロップ。そこで描かれているものは「俺のロックと違う」。

この頃、自分のロックの趣味は、マニアックな方向へと加速していた。レコ屋に行っては UKインディーズをディグり、ビルボードのチャートの下の方に入る USインディーズに興味を示す。売れてるものって、なんかダセえと感じる二十歳の青二才。

21歳になってレンタルビデオ店でバイトを始めるようになった。店内の大きなモニターで、貸出されてないビデオを流すのも仕事のひとつで、ヒマなときはそれをカウンターからぼーっと眺めたりしていた。ある日、『ストリート・オブ・ファイヤー』を流して、いつものようにぼーっと見ていたら… コレがむちゃくちゃ面白い!

どこかにありそうでどこにもない町の、徹底した作り込み。どこにもない町だからこそ、マイケル・パレ扮するヒーロー、ダイアン・レイン扮するヒロインが、手の届かない、しかしまばゆいキャラクターとして理解できた。こういうヤツらが存在する町が、あったっていいじゃないか。いったい自分は一年前、何を見ていたのか!?

いや、見えなかったのだ。「俺のロック」フィルターが邪魔をして。人は成長する生き物で、それに合わせてフィルターも更新される。それを考えると、「嫌い」を口にするのがバカらしく思えてきた。もっと言えば、何かを「嫌い」と公言し続けるのは、成長を拒絶することだ。映画『ブリキの太鼓』的なそういう姿勢もパンクと思えなくもないが、それって幸せなことなのかい?

アラフィフとなった今でも「俺のロックと違う」と思うことは頻繁にある。一方で「あなたのロック」や「彼氏のロック」「彼女のロック」があることも理解している。それが、いつか「俺のロック」とクロスオーバーする可能性も――

『ストリート・オブ・ファイヤー』を観る度に、今や脊髄反射的にオープニングのナンバー「ノーホエア・ファースト」に涙目になると同時に、“俺のロック” の成長の度合いを考えたりする。そうだ、また観なきゃだ!

※2018年8月11日に掲載された記事をアップデート

カタリベ: ソウママナブ

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