【Brain Police Road to 50th Anniversary PANTA(頭脳警察)暴走対談LOFT編】桃山邑(水族館劇場代表)×山田勝仁(演劇ジャーナリスト)【後編】

表現が自分たちの生き方と深く密接していた時代

──十数トンに及ぶ水や無数の鉄パイプを用意したり、舞台を建築する費用はどう工面しているんですか。

桃山:僕が働く建築現場の社長にお願いして安く提供してもらっていますが、なかなかそうもいかないので何百万とかかっています。まぁ1,000万単位ですかね。バカですよ(笑)。でもそのために1年働いて、みんなでお金を貯めているんです。本当は半年働いて、残りの半年は構想と台本に費やしたいんですけどね。

──そうなると、1年に1公演のペースが限界ですか。

桃山:もう1公演、大仕掛けではない芝居を年末年始にやります。山谷や横浜の寿町、釜ヶ崎の路上で芝居をする、さすらい姉妹というユニットです。幕1枚だけの世界ですが、それはそれで面白い。

──山田さんに伺いたいのですが、やはり演劇界でこれほどクレイジーな劇団は他にいませんか。

山田:これほど大量の水を使う劇団は他にいないでしょうね。1週間くらい公演があるとすると、初日にはまず行っちゃいけない劇団と言われています(笑)。

──どういうことですか?

山田:ホン(脚本)がなかなか出来上がらないので(笑)。

桃山:いや、初日は面白いですよ。初日には初日ならではのスリリングな面白さがありますから。

PANTA:俺は客入れする前の、外で見せてくれるプロローグみたいなのが大好きなんだよね。

山田:本編の公演前に表で小芝居をするんですが、それも見所のひとつなんです。

──初日までに脚本が完成するほうが稀なんですか?

桃山:ちょっと真面目な話をしてもよろしいでしょうか…。

PANTA:今までの話は真面目じゃなかったの?(笑)

桃山:あのね、お芝居というのはどういうものか、何を見せるのかと言えば、僕は別に演劇すごろくをやりたいわけじゃないんですよ。スズナリみたいな小劇場でお客さんを集めるようになって、作・演出で出世して、今度は本多劇場だ、紀伊國屋ホールだ、新国立劇場だと段階的に劇場が上がっていくようなことには全然興味がない。そんなことよりも誰も観たことのない、みんながびっくりするようなこと、あるいはこいつらアホじゃないか!? と呆れられるようなことをやりたいんです。観に来てくれるお客さんに対して「これが本物のお芝居か!」と思わせるものを作りたい。60年代のGSから派生した本物のロック・バンド…フラワー・トラベリン・バンドや村八分、もちろん頭脳警察もそうですが、彼らも自分たちにしかできない何か新しいことを社会にぶつけていたと思うんです。また当時の社会はそういうものを求めていたし、社会全体も怒っていた。日本は戦後復興期を迎えて生活が良くなったと言うけれど、60年代には学生叛乱という形で社会に対するアンチテーゼが出てきた。それは自分たちの生き方と深く密接していたからなんですね。僕はその世代から少しズレているんですが、曲馬館からキャリアをスタートさせたもので、どうしてもその世代の尻尾を引きずってしまう。

──桃山さんにとっては芝居こそが自分の生き方と密接したものだったと。

桃山:はっきり言って、プロセニアム・アーチの中でいろんな制約を受けながらお芝居をやったほうがむしろラクですよ。照明もあらかじめ吊ってありますしね。でもそういうことじゃない、自分たちの手でゼロから舞台を作っていくお芝居こそが自分にとって一番やりたいことなんですね。ウェルメイドな芝居を見せるために台本を早く仕上げて練習して、ひとつひとつ再現するためにやっているわけじゃないんです。僕らは20人くらいのメンバーで朝の6時から夜の11時まで仕事をして、不眠不休で1カ月かけて作った芝居が面白くないわけがないだろうと思っているんです。だから初日だろうと何だろうと、セリフが入っていようがいまいがお客さんに見せ切る自信があるんですね。

──自分たちの居場所がないから作ってしまえばいいというのは、パンク・ロックの気概と相通ずる部分がありますね。

桃山:ああ、いいことを言ってもらえた。その意味では曲馬館も僕もパンクでした。言うまでもなく頭脳警察は世界初のパンク・バンドだったと思います。PANTAが素晴らしいのは、パンクでありながら自分を俯瞰する視点があったことですね。当時はまだ密な関係じゃなかった鈴木慶一にプロデュースを任せた『マラッカ』と『1980X』は僕も傑作だと思うし、どちらも2枚ずつ持っています。あの2枚は、音楽の持つ生命力、PANTAがもともと持っていた世界をさらに進化させるべく、価値観も世界観も違う他人に預けることで上手く化学反応を起こした傑作だったと思うんです。だけど〈スウィート路線〉の2枚に関しては、平岡正明さんの言ってることのほうが当時はしっくりきました。

PANTA:平岡さんの言うこともメチャクチャなんだけどね。「PANTA、ステージ前にオ××コしちゃダメだよ。終わってからいくらでもやりな」とかさ(笑)。まぁ、教えは守ったけど(笑)。

プロとアマチュアの差とは何か

山田:さっき桃山さんが自分は芝居のプロじゃないと話していましたが、プロとアマの差はどこにあるんですか? アルバイトをしながら役者をやっているのは他の劇団も同じだと思うんですよ。

桃山:役者もミュージシャンもそれで食べていくんだと決意して始める人が多いと思うんですけど、僕がさっき言った演劇すごろくみたいなものにとらわれてしまうと、自分が有名になるための演劇になりかねないんです。それじゃ本末転倒ですよね。人間は弱いし、僕だって弱いから、時には甘い水に惑わされそうになるけど、それを振り捨てるために建築現場で肉体労働をしています。今や日本人はそんな肉体労働をしたがりません。セブンイレブンでレジ打ちしたほうがラクだから。僕が現場で一緒に働く仲間は中国人が多いんですが、これは揺り戻しですよ。戦前戦中に日本人が中国へ渡ったように、今は中国人が日本へ来ている。それも次の芝居は満州を舞台にしたものにしようと思い立った理由のひとつです。…話が長くなりましたが、今の山田さんの質問にお答えすると、僕はこれからも誇りを持って肉体労働をしていくつもりです。なぜか。仕事とは毎日が発見で、やっぱり面白いから。仕事をしている最中に芝居に繋がるヒントが見えてくるし、芝居に転用できる何かに気づいたりするので。仮に芝居でご飯が食べられる状況になったとしても、今の仕事はやめないと思います。それが僕の芝居をする理由なんですね。

PANTA:昔、『イカ天』で審査員をやった時、襖の向こうから出てきたバンドの子たちが「僕たちは必ずプロになってやる!」とか宣言をするんだけど、俺は意地悪だから「君にとってプロって何? お金を儲けること? 有名になること?」って訊いたわけ(笑)。自分の考えとしては、ちょっと格好つけるようだけど、ロックとはグレート・アマチュアリズムだと思ってる。ロック・ミュージシャンはプロじゃないし、もっとエンターテイメントに徹したプロのミュージシャンは他にいっぱいいるからね。だけどローリング・ストーンズの格好良さはグレート・アマチュアリズムにこそあるんだよ。自分はそう思ってる。

──山田さんはプロとアマチュアの差をどう捉えているんですか。

山田:今の役者たちの多くは食えてないと思うけど、だからと言って彼らがプロじゃないのかと言えばそうじゃないわけですよね。お金とアートは別の話ですから。

PANTA:もちろん商業演劇のすごさはあるけどね。『秘密の花園』のホン読みに気楽な気持ちで行ったら、台本を持ってる役者は一人もいないんだよ。みんな事前に頭に叩き込んでいてびっくりした。

桃山:話が終盤に差し掛かってきたので、ビールを頼んでもいいですか?

──もちろんです。

PANTA:桃山君の酒癖はどうなの?

桃山:若い時は酷かったですね。オートモッドのジュネと殴り合いのケンカもしたし(笑)。ジュネとは同級生で、学校も一緒で席も隣りだったんです。

PANTA:水族館劇場は曲馬館ほど事件や問題を起こしてないんですか?(笑)

桃山:自分が親分になってからはいろいろとありましたよ。高速道路でトラックが横転したこともあったし。もちろん曲馬館のほうが過激でしたけどね。翠羅臼という、さすらい姉妹の作・演出もしている僕の大先輩が昔『11PM』に出演した時、あろうことか生放送で「これから我々はひめゆり部隊と合流して昭和天皇の…(以下、自粛)」と言っちゃったものだから、ディレクターのクビが全部飛んだこともあります(笑)。やっぱりね、一貫して反権力なんですよ。それはPANTAの影響でしょうね。

PANTA:ディレクターのクビが飛んだのは俺のせいじゃないよ(笑)。権威は嫌いだけどね。

桃山:僕がPANTAを大好きな理由は、彼がすごく誠実だからです。決して偉ぶることなく、自分だけの世界を誠実に歌にしている。それに男気もある。そこが一番惹かれるところですね。僕はショーケン(萩原健一)よりもジュリー(沢田研二)のほうが好きなんです。このたとえ、わかります?

PANTA:それは村八分と頭脳警察の違いみたいなものだね(笑)。まだ今ほど原発問題が論議されていなかった頃、『ダカーポ』で山口冨士夫と鮎川誠と俺で原発について語る企画があったんだよ。そこで司会にエネルギー問題についてどう思うか訊かれたんだけど、俺は『マラッカ』を作ってエネルギーは日本の死活問題だと理解していたから、「ここで『Yes』か『No』かを簡単には言えない」と答えたわけ。そうしたら山口冨士夫が「簡単だよ。『反対』って言えばいいんだよ」とか言ってさ(笑)。

桃山:PANTAは石油危機が起きた24歳くらいの時にトイレットペーパーを静岡から送ってもらっていたんですよね。

PANTA::俺が? 全然覚えてないな。

桃山:さっき言った『ニューミュージック・マガジン』の内田裕也さんとの対談でそう話してましたよ。ファンというのはご本人が忘れたことをちゃんと覚えているものなんです(笑)。

PANTA:ショーケンで思い出したけど、昔、横浜のセブンスアベニューでやったライブでコーラスをしてくれた女の子が、ショーケンのバンドでもコーラスをやっていてね。その女の子にショーケンから電話がかかってきて、「PANTAにマスターベーションを教えたのは俺だ」とか言ってたらしい(笑)。

桃山:ああ、『日劇ウエスタンカーニバル』のマスターベーション事件のことですね。

PANTA:うん。なんでそんなことをお前に教わらなくちゃいけないんだよ! その前からちゃんとやってたよ!って言ってやりたかったけど(笑)。

桃山:あのマスターベーション事件にしても、僕はある種の誠実さを感じてしまうんですけどね。

山田:本当にPANTAさんの大ファンなんですね(笑)。

PANTA:そこまで言ってくれるなら、〈スウィート路線〉の2枚もぜひ買ってくださいよ。

桃山:…考えておきます(笑)。

*本稿は2019年3月16日(土)にNAKED LOFTで開催された『ZK Monthly Talk Session「暴走対談LOFT編」VOL.6〜揺れる大地に〜』を採録したものです。

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