捕虜収容所の実像も刻む 「大牟田の空襲」第30集刊行

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終戦の日を前に、大牟田市の市民団体が記録集「大牟田の空襲」第30集(B5判、72ページ)を刊行した。市内外の8人の体験記や、戦時中に市内に2カ所あった捕虜収容所の実像に迫る寄稿文などを収録。戦争の恐怖や悲劇だけでなく、米軍人捕虜への虐待を訴える証言も記し、戦争の非人道性を多角的に描くことで、平和の大切さを訴えている。

市民団体「大牟田の空襲を記録する会」によると、市は1944年11月から終戦まで計5回以上の空襲被害を受け、推計で計1300人が命を落とした。市内は一面焼け野原となり、特に45年7月27日の空襲では、計37万発の焼夷(しょうい)弾で約600人が犠牲となった。

同会は1972年に結成。記録集発行のほか平和イベントなどを続けている。新たに自らの体験を寄せた8人は70~90歳代で、うち6人は会のメンバーが何度も通って聞き取りし、文字にした。市内の医療法人が職員や施設利用者から聞き取った戦争体験の記録や、市内の老人会が14年前に発刊した「体験集」も一部転載している。

捕虜収容所に関する寄稿文は、戦争捕虜の調査に取り組む「POW研究会」(東京)の会員、古牧昭三さん=福岡市=が執筆した。古牧さんの調査によると、市内には三井鉱山三池鉱業所で使役するための「福岡俘虜(ふりょ)収容所第17分所」と電気化学工業大牟田工場で使役する「第25分所」があり、第17分所は収容人数1700人と全国135カ所のうちで最大だったという。

寄稿文では、収容所の見取り図や、過酷な坑内作業に従事した収容者を終戦後に取材した米国人ジャーナリストの記事の引用、同研究会が作成した収容者のうちの死亡者リストなどを掲載している。

記録する会の中嶋光秋代表(79)は「空襲体験者の高齢化が一段と進み、証言を得るのは厳しくなっているが、私たちの使命と思い、今後もできる限り記録集の編集に努めたい」と話している。第30集は1080円で、積文館ゆめタウン店などで販売中。