特集 暗がりから池袋を覗く ~ミステリ作家が見た風景~ (2)

東京都豊島区 広報としま令和元年8月1日号(特集版)

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■豊島区ゆかりのミステリ作家

◆池袋詣(いけぶくろもうで)
戦前・戦後を通して探偵小説の人気を二分した2人は、池袋駅を中心に東西を隔てて居を構えていました。当時の編集者は2人の人気作家の家を行き来するため池袋に赴くことを「池袋詣」と呼びました。

西へ
◆江戸川乱歩(えどがわらんぽ)
明治27(1894)年〜昭和40(1965)年
言わずと知れた作家、江戸川乱歩が豊島区にゆかりが深いことをご存じですか?今もなお多くの読者に愛されている「少年探偵団」シリーズは池袋で執筆されました。
現在の三重県名張市で生まれた乱歩は池袋に終の棲家を見つけるまで、名古屋・大阪・東京を転々としていました。
池袋に引っ越してきたのは昭和9(1934)年39歳の夏で、その後亡くなるまでの約30年間を池袋で過ごしました。当時の池袋は原っぱが広がり、住宅が点々とある実にさびしい場所だったと自身のエッセイに書いています。

企画展見所:
乱歩の自筆原稿や愛用品、池袋に関するエッセイなどを展示し、安住の地池袋での乱歩の暮らしと乱歩が見つめた池袋の風景をご紹介します。

東へ
◆大下宇陀児(おおしたうだる)
明治29(1896)年〜昭和41(1966)年
乱歩と縁の深い宇陀児は、なんと引っ越してきた日も乱歩と同じだったといいます。昭和9(1934)年に乱歩は立教大学のある西側、宇陀児は東側の子母神近くに越してきました。
九州帝国大学(現九州大学)で応用化学を学んだのち、当時の農商務省の研究所に就職しました。職場の同僚であった探偵小説家の甲賀三郎に影響を受け、探偵小説を書くようになり、大正14(1925)年に乱歩と同じく雑誌『新青年』でデビューしました。
宇陀児の作品の特徴は犯罪心理を巧みに描き、大衆文学的な探偵小説ではなく、より文学的な作風を目指したところにあります。

企画展見所:
乱歩とは、「盟友」として戦後の探偵小説界を牽引しましたが、池袋でも東西の町会で宇陀児は会長、乱歩は副会長として活躍しました。展示では、戦中・戦後のエッセイやアルバムを通して、宇陀児の池袋時代の生活を紹介します。

◆戦後活躍したミステリ作家
ここで紹介する2人はミステリ作家として作品を世に出す一方で、別の顔を持ち合わせていました。企画展では多才な作家の実像に迫ります。

○作家であり建築家でもあった飛鳥高(あすかたかし)
昭和24(1949)年秋、結婚を機に池袋へ越してきた飛鳥の家は、偶然にも乱歩の家の隣でした。この3年前に、建設会社で働きながら書いた「犯罪の場」が乱歩の主宰する雑誌『宝石』の懸賞に入賞し、作家としてデビューしていました。乱歩と飛鳥の妻は、ご近所同士ということで非常に仲が良く、互いの家を行き来することも多かったようです。会社員との兼業で、なかなか作品を執筆できない飛鳥を見て、乱歩の妻が「(飛鳥に)もっと書くように説得しなさい」と飛鳥の妻に言ったこともあったといいます。乱歩との家族ぐるみの交流が、飛鳥の創作の後押しとなったようです。

企画展見所:
飛鳥の作品は緻密なトリックが印象的です。一級建築士としての素質が、トリックの組み立てにも一役買っているのかもしれません。細かく書き込まれた創作ノートや、エドガー・アラン・ポーのブロンズ像(第15回日本探偵作家クラブ賞副賞)や池袋の自宅での写真など、貴重な資料を展示します。

○作家であり紋章上絵市でもあった泡坂妻夫(あわさかつまお)
昭和8(1933)年~平成21(2009)年

和服に家紋を描き入れる紋章上絵師の家に生まれた泡坂は、家業を継ぐ傍ら飛鳥と同じく兼業作家として活動しました。神田の実家が戦災によって焼失したのち、大塚に転居し、60年以上大塚で暮らしました。書籍自体にトリックを隠した遊び心溢れる作品を発表するなど、本の持つ特徴を最大限に生かした装丁でもよく知られています。袋とじになっているページを開かずに読むと短編小説、開きながら読むと長編になる『生者と死者酩探偵ヨギガンジーの透視術』(新潮社、1994年)は、短編と長編で全く違う物語として読める不思議な作品です。
紋章上絵師以外に、奇術(マジック)の世界でも泡坂は活躍しました。創作奇術の賞を受賞したり、泡坂の本名を冠した厚川昌男賞も作られました。

企画展見所:
3人の娘と妻と共に、地元大塚の天祖神社や池袋の百貨店の屋上遊園地をよく訪れていました。父としての泡坂の素顔と当時のまちの様子を伝えるアルバムを中心に、印刷の方法まで事細かに指示した貴重な自筆原稿などを展示します。