社説:終戦の日に 「継承」の意味を問い直す時

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 広島市の原爆資料館。強い日差しが照りつけ、セミの声が響く。

 あの日もこんな一日になるはずだったのだろうか。

 薄暗い館内では、被爆した子どもたちの遺品に引きつけられた。

 血がにじむ子どものパンツは、母親に背負われて背後から熱線を浴びた2歳男児のものだ。「水がほしい」とねだったが、水を飲ませると死ぬ、と言われたため与えず、男児はその夜、亡くなった。母親は強い後悔を抱き続けた。

 小さな定期入れは、つぶれた駅舎に片足を挟まれた中学3年男子の持ち物。救助しようとしたが足は抜けず、「助けられない、許してくれ」と謝った警察官に、生徒は「ありがとうございました。これを家族に渡してください」。その直後、駅舎は炎に包まれた-。

 遺品と、それにまつわる物語。1945年8月6日、原爆のきのこ雲の下で何が起きていたかを、見る者の心に深く刻みつける。

 原爆資料館は今年4月、展示物を大規模にリニューアルした。遺品などの実物資料の展示を大きな柱とし、人間の被害を浮かび上がらせるようにしたのが特徴だ。

 被爆者が高齢化し、被爆当時のようすを語れる人が減っている。そんな時代になっても、説得力を持って原爆被害の実相を語り継いでいくにはどうしたらいいか。8年半にわたる議論を経てたどりついた結論だったという。

 終戦から74年。「戦後生まれ」は人口の8割以上を占める。被爆に限らず、戦争の記憶を継承していくことは難しくなる一方だ。

 それを象徴していたのが今年5月、北方領土へのビザなし交流訪問団に同行していた35歳の国会議員が、戦争で島を取り返すことの賛否に言及した問題だ。

 89歳の訪問団長に対して「戦争をしないと、どうしようもなくないですか」とした発言は、大戦がもたらした惨禍についての無知をさらけだしたようなものだった。

 安全保障関連法案の議論が高まっていた4年前には、別の30代の国会議員が「戦争に行きたくないという考えは極端な利己的考え」とツイッターに書き込んでいた。自発的に戦争に行く姿勢を求めたとも受け取れ、批判を浴びた。

 戦火に追われ、肉親の命が奪われる-。そんな戦争のリアルな実態を想像できない人々が国会の議席を得て、戦争に訴えることの是非を軽々しく語る現実がある。

 京滋を含めた各地で、戦争体験を記録したり、語り伝えたりする活動が行われている。戦禍を直接体験した人が減っていく中で、戦争の記憶が風化してしまうことを懸念する人は少なくない。

 ただ、すでに膨大な数の証言が書籍や映像などの形で蓄積されている。こうした記録は、体験者の「伝えたい」という思いだけでは完成しなかっただろう。その体験を「聴きたい、知らなければ」と考えた聞き手がいたからこそ、後世に伝わった面もあるはずだ。

 広島の被爆者が残した体験記や絵を詳細に分析した直野章子・広島市立大教授は、被爆体験の伝承は、証言に耳を傾ける「同伴者」なくして成立しない、と語る。

 聞き手は話をじっくり聴くことであらためて被害を認識し、原爆への疑念を強める。被爆者も体験を語ることで「再び被爆者をつくらない」との信念を形成する。

 直野さんは著書「原爆体験と戦後日本」で、継承されるべき被爆体験は「被爆者と被爆者でない者との共同作業の果実」であり、その継承の意味を「被爆者が同伴者とともに築いてきた理念を次世代に引き継ぐこと」と説く。

 戦争の直接体験者がいなくなった後に何を語り継いでいくべきかについての、新たな視点といえるだろう。体験者と同伴者の共同作業で生まれた証言や記録に触れることで、私たちも新たな同伴者として記憶をつないでいく役割を担うことができるかもしれない。

 戦争があった昭和から、平成を経て、今年から令和となった。

 一昨年死去した作家の早坂暁さんの自伝的小説「花へんろ」は、愛媛県の遍路みちにある商家を舞台に、戦争の影がのしかかる昭和前期の日常をほのぼのと描く。

 胸を打たれるのは終戦直後の場面だ。海軍兵学校の生徒だった主人公は配属先から帰郷する途中、夜の広島駅で無数の青い火を目にする。原爆に倒れた何万人もの遺体の燐が燃えているのだった。

 帰宅した主人公は、妹が自分に会うため8月6日に広島を通過したらしいことを知る。広島へ戻って探すが行方は分からない。商家には、新妻を残して出征したいとこの遺品も届いていた-。

 当時、多くの家庭で、こうした出来事があったに違いない。

 早坂さんは、昭和を研究する将来の人々のために、「間違いない昭和の息づかい、まぎれもない昭和のたたずまいを書いておきたい」と執筆の理由を記している。

 戦争のない「戦後」が長く続いているのは、戦争体験の継承が曲がりなりにも機能してきたからに違いない。その記憶が薄らげば、戦後は再び「戦前」の危うさを帯びかねない。