74年という歳月

 子どもたちを前に話をするのは初めてのことだった。分かりやすく伝えるのは骨が折れるし、人ごとと思われないか不安だった。8月の登校日、小学校に出向き、戦時中の出征の話をすると、子どもたちの目線は意外にも、まっすぐ自分に向いていた▲航空通信連隊の一員としてフィリピンの島に赴いたという県内の男性に、思いを聞いたことがある。80歳近くになってその方は、体験を人に語り始めた▲「極限状態」という共有体験で結ばれる戦友会は、その頃すでに会員の高齢化で活動を閉じていた。自分と戦争をつなぐものがなくなり、戦争は遠くなったとつくづく感じたが、「今のままじゃいかん」という冷めやらぬ思いもあった▲その方のことを記事にしたのは17年前、戦後57年の夏だった。戦友会の活動が終わり、体験を公に語ること、書き残すことが始まって「私は変わり目にある」と語っておられた▲戦争体験の風化を案じ、どなたかがそれを語り、記録に残す。そこからさらに20年、30年の時が流れる。終戦から74年とは、そういう歳月なのだろう。男性は数年前に亡くなっている▲語り、書き残す決意をきちんと記事にできたのかと今も思う。体験話に聞き入ったかつての少年少女、今はもう大人という人たちの心に、残る言葉は何だろうかと思う。(徹)

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